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室井尚著『情報宇宙論』より

第九章 身体の編集工学としての「芸術」、あるいはもうひとつの「技術」


身体
言うまでもなく、ぼくたちはまずもって「身体」として存在している。このことに異論を唱える者はいないだろう。したがって、「身体」について考えることがぼくたちの存在の基底について考えることであるといっても過言ではあるまい。身体の重要性はこうして自明のことであるかのように思われる。だが、本当に自明のことなのだろうか。この本の最初に書いたようにけっしてそうではなかったのだ。
事態を複雑にしているのは「身体」がぼくたちの思考にとっては常に「後から」反省によって発見されるということである。身体はけっして単なる客体ではないし、またもちろん未だ主体でもない。それはその中間にある過程であると同時に、それらが形成されてくる場所=母胎でもある。だが、そのことが観察されるのは常にそうした体制が固定された後からのことにすぎないのである。
身体論はそもそも歴史的形成物として生まれてきた。超歴史的で普遍的な身体論があるわけではない。観念論と唯物論の狭間に忘却されてきた身体が今世紀に入って哲学や思想の大きなテーマになったこと自体が、一つの大きな歴史的変動を暗示しているのである。ここでは、そうした意味での身体論そのものの様々な諸前提をも問題にしていきたいと思う。なぜなら、ぼくが「身体」を問題にしようと思う理由は、それらを支えている動機それ自体をも含みこむようなものでなくてはならないと考えているからである。
ぼくが「身体」という言葉で呼んでいるのは、けっして単一のものではない。たとえば、身体の一番下位の存在様態はモノである。それは物理化学的な対象であり、様々な蛋白質や水分に分解できる物質である。だが、それらは身体の構成要素ではあっても、いまだ身体ではない。それは、遺伝子コードや様々に分化した細胞、共生的な関係にある無数の体内微生物、様々なホルモンや神経伝達物質、プラスミドやウィルスといった遺伝子の細片などによる複雑で異言語混交的な混成体であって、未だ「私の」身体として知覚されることはない。ぼくたちがここで問題にしたいのは少なくともまだ今のところは、このような意味での物理的「身体」ではない。
 それに対して、意識に与えられる身体は、いくつかの層構造をなしており、その最も原初的な身体とは、未だ内臓も諸器官ももたない巨大な「肉」、あるいは遍在する「体液」としての身体であろう。それはオパーリンが生命の起源に置いた原初生命体コアセルバートのように、未分化で流体的な軟体である。そこでは本質的なのは脳や諸器官ではなくてむしろゆっくりと循環し、複雑な水路を流れる「体液」である。それは分裂病者の日記に表れてくるような、いかなる志向作用も指示作用も行わない、差異をもたない鉛の塊のような身体、深い眠りに落ちた時に僅かながらも意識の暗がりに感じられる重たい海のような身体の意識である。勿論ここではまだ対象と主体の分化も存在しない。後期メルロ・ポンティが書いているように、世界とはここでは「肉」である。つまり、それは器官なき暗闇としての身体であり、それと区別することのできない肉としてのものの世界なのである。
 次に第二の位相は同じくメルロ・ポンティが記述したような、原初的な志向作用=知覚における遠心的―求心的なキアスム=交叉的身体である。ここでは、身体とは右手で左手を触る時のように、触る―触られるという能動―受動関係がスイッチし、志向作用の中心が遠心的―求心的な往復運動を行いながら、触るものが同時に触られるものでもあるような過程が生まれる。「私」が物を見るとは、多くの画家たちの証言が示すように、物から見られることでもあり、物の目で世界を見ることでもある。これは「触る」、「見る」ばかりではなく、あらゆる感覚についても原理的に同じことが言えるわけであり、このような能動―受動、遠心的―求心的、離散的―統合的な絶えざる過程がこの身体の位相の特徴であるといえよう。
 大沢真幸が「原身体」、「過程身体」という名前で呼んでいるこの二つのレベルにおいては、まだ「私の」意識は生まれていない。(1) ここに抑圧による切断が加えられ、複数の知覚を構造化する力が生まれてくる。あるいは、諸器官の協働によって「唯一の私の身体」による「唯一の」世界の経験へと、こうした過程が高められていくと言ってもいい。身体がこうした超越的位相へと高められる為には、したがって身体の形成作用とでも言うべきいくつかの段階をもった過程が存在しているわけである。主体の形成は、このような身体の形成過程に従っているのだ。
 それは、たとえば右目と左目のずれをはらんだ異なる視覚像が「私」の唯一の視覚となるような過程においても経験することができる。すなわち、メルロ・ポンティの言うように、「私の意識」とは「それら複数の視覚、複数の触覚、複数の小さな主観性、複数の「……についての意識」が花束のように一つにまとまる」(2) ような形で形成されるのだ。
 「私」とはしたがって、単一の知覚の主体ではない。むしろ、複数の異質な知覚が花束のように統合される時の「虚の焦点」なのである。このことをぼくは第一章でミハイル・バフチンの「視覚の余剰」という概念を通して既に考察した。
 こうした私の視点とは一種の特異な余剰点であって、いかなるシステムに還元されることもない破れそのものであり、そうでありながらシステムの存立そのものを可能にするような一点であることになる。更にそれは他者という複数の異質な「位置」同士の「ずれ」や絡み合いによって生成され、構成されるものであるということになるだろう。
 こうした過程は原理的には身体形成のあらゆる局面に存在していると言える。つまり「私」の「身体」とは、こうした視線と身体の「構え」の形成として構築されるというべきなのである。あるいは身体とはこのような「構え」の形成過程それ自体なのだ。ここから上には無数のレベルと無数の可能性が考えられるだろう。それらを限定し、固定的に分類するようなタイプの身体論に、ぼくは同意することはできない。確かにエディプスを初めとして、社会的に形成される様々な形成原理を数え上げることはできるだろう。だが、それすらも必然的なものではなく、それ以外にも無数の別の形成過程が存在しえたはずであり、流動的な別な可能性が存在していたはずだからである。歴史的に作られた様々な身体があるように、たとえば「社会」という身体、「国家」という身体などの形成もさまざまなヴァリエーションを考えることができるだろう。もちろん、そこでその代表的な形態の類型学を構築することも大事なことであるかもしれないが、少なくともここでは、その無限定性を強調しておきたいのだ。ぼくたちには、違う「私」と「身体」を作り出す無限の可能性が与えられているのである。
 このように考えられた「自己」とはしたがってちょうど複数の光の矢の交差の中で点滅し、場所を変えていく虚の光点のようなものであり、何かしら実体的なものが持続するのでは全くない。光点の軌跡を後づけることはできるが、実際には一定の範囲の中を目まぐるしく位置を変えて点滅しているのだ。
あるいは、つぎのように言えるかもしれない。大沢が過程身体と呼んでいるキアスム的身体のレベルにおいては、情報の流れはめまぐるしく移り変わっている。ちょうど多方向に超高速で飛び回るエネルギー粒子のように、多数多様な情報の矢が複雑に交錯しあっているのだ。「私」、あるいは「私」によって統一された身体とは、こうした同時多発的で微細な情報の乱流をひとつの連続した統辞論的系列にまとめあげるための装置なのである。
 最近のコンピュータ科学が注目しているように、人間の身体、あるいは神経組織は情報を逐次的にではなく、並列に同時処理している。身体がこうしたニューロ・コンピュータ的なハードウェアだとしたら、「私」とはそれを逐次的な直列処理に翻訳するソフトウェアであると言えるかもしれない。ということは、そこには元々かなりの無理がかかっているということが容易に想像できるだろう。
 吉岡洋は、ある現代美術作家の展覧会に寄せたSF的寓話の中で次のように書いている(3)。
 「え? 何かお聞きになりたいことがある? ええ、もちろんかまいませんけど。何でしょう。『私は死後どこに行くのか』ですか? 困ったなあ。他にも形而上学的な謎がたくさんあるって? ええ、わかります。でも、あなたが謎と呼んでいるものに、お答えすることはできません。いえ、何も隠してるわけではありませんよ。隠すべきことなんてないもの。えーと、あなたは基礎的な情報工学の知識をお持ちですね。それを利用して仮に表現してみると、今ぼくたちが話しているこの言語というのは、記号と論理の操作に基づいた直列の情報処理プロセスですよね。でも、あなたの神経細胞のネットワークは、相互作用を同時に処理するような並列型のアーキテクチュアをもっていることはご存じでしょう。生体機能を管理するにはその方がずっと効率がいいですからね。『私』というのはいわば、そういう並列のハードウェアを使ってかなり無理して実現されている、仮想の直列システムの名前です。『私』にとって本質的と思えるすべての謎は、『私』というシステムが今のところ、生体のニューロン・ネットワークの構造には不向きで、とっても不安定な働き方をしていることから生じて来るのですよ」。
 「私」とは、したがって本来の多元的でキアスム的な身体情報を、直列的で逐次的な連続体に変換するプログラムのことである。あるいは、それは変換しているように見せかけている(だけの?)仮想のプログラムのことなのである。その仮想の情報の結合関係を絶対の実在であると仮構するところに、超越論的な自己というフィクションが成立するのだ。
 ここまでの議論に更につけ加えておきたいことは、こうした身体の形成作用が、当然のことながら歴史、文化的なコンテクストとも対話的に関わっているということである。いわば、身体の形成は歴史的文化的な構築物として見られることもできるだろう。その結果、その時代、その文化に応じた身体の構え=「身」構えとでも言うべきものが形成されているということになる。ぼくたちが朝目覚める度に目の前に生起してくるこの生き生きとした「世界」とは、ただそのものとして与えられているわけではなく、このような「身体」であるところの対話的形成活動、いわば「身―構え」によってその度毎に作られているのである。(こうした議論は肉―キアスムといった原初的身体のダイナミクスをたとえばコンピュータのような身体の〈外部〉と対立させようというようなものではないことをつけ加えておきたい。むしろその反対に、シリコンチップの「肉」やネットワークの「キアスム」などの可能性をも含めた視点なのである。電源を投入されたコンピュータがOSを呼び出し、システムが立ち上がるような「身体」の「立ち上げ」を考えること……)。

知覚の編集という視点

 さて、一九世紀の末(一八八七)、コンラート・フィードラーは「芸術」を視覚による世界の直接的な把握と考え、絵を描くという行為を目のはたらきと手のはたらきとを結び付ける一つの連続した過程として描き出した。(4) ぼくたちはここに、「知覚の組織化」ないしは「知覚の再編集」としての「芸術」という新しい視点の発生を読みとることができるだろう。このことは、先に述べた「身体」の構えに主体が自ら介入し、新たな世界との関係を作り出すという、それまで隠されていた新しい可能性と関わっている。
 すなわち、ここでは見るとは、ただ単に目という視覚器官のはたらきを意味しているだけではない。フィードラーによれば、そこには未だ世界についての不明瞭で混濁した意識しか生じていないからである。また、一方それを言葉や概念を用いて認識に高めることでも充分ではない。なぜなら、視覚が言葉という抽象に置き換えられる際に、目の前に一瞬一瞬に変容していくナマの世界の姿が消えてしまい、全く違ったものに変わってしまうからである。それを手で描くという能動的な行為を通して世界に関する明瞭な意識にまで高めていくこと、これがフィードラーの考えた純粋視覚性であり、芸術活動の根源に位置する活動であった。それは言葉や概念による認識が取り逃してしまう、生成し、変容する現実世界を、視覚という単一感覚を取り出して、身体の構えにまで高めていく形成活動の中に捉えなおしていく方法だったのである。
 もちろん、芸術が一種の世界把握であるといった考え方は古くから存在していた。だが、ことばや概念による認識ではなくて、知覚そのものによる世界の把捉という視点がここに現れた状況の背後には、視覚の外在化である写真の発明、そして視覚のメカニズムの復元編集作業であったところの印象派の絵画の存在があったように思われる。なぜなら、言葉や概念と違って、感覚=知覚=統覚の過程はあらかじめ固定された回路を形作っており、そこに人間が介入することなどはそれまで考えられなかったからである。
 実際フィードラーが思い浮かべていたのはこの印象派の絵画であり、それは人間の視覚をシミュレートすることによって、いわば網膜像の複製を意識的に作り上げることであった。すなわち、それは写真が放逐した主体の関与を知覚の自覚的な再組織化によって取り戻そうという努力だったのである。言い換えれば、精神の不在を意味する写真から絵画活動を救いだし、人間による世界の視覚的把握という身体=精神的活動を芸術活動の中心に据え直そうということである。
 写真が出現するまでイメージの処理は絵画や彫刻などのミメーシスの技術によってなされるしかなかった。それは目を介して意識に与えられた写像を、さらに主体を通して再現する――いわば精神を媒介として表象を複製する技術であったと言えるだろう。あるいは、それらの知覚は影法師のように純粋に受動的に与えられる制御不可能なものと考えられていた。
 写真はこうした事情を一変させたのである。写像を定着することによって、それは初めて精神のフィルターを介さずに映像を制御する技術となった。こうして写真は絵画のシステムを破壊するどころか逆に「客観的再現」という15世紀以来の絵画の理想を、いともたやすく、そして何の精神的達成もなしに実現してしまったのである。こうして、写真は「精神」を表現の回路から追放し、それ以来映像は何かの不在と共に生きることになる。言い換えればそれは被写体と主体の両方を欠いた不在の輝きとなったのだ。こうして、映像処理技術の誕生は遠近法的空間の完成であると同時に、精神の遠近法を根底から破壊するものであった。それは知覚の回路を狂わす幻惑の魔法でもあったのである。
一八三九年のダゲールによる写真、一八四四年のモースによる電信、一八七七年のベルによる電話、一八七八年のエジソンによる蓄音機、一八九五年のリュミエール兄弟による映画と、新しいコミュニケーション技術の登場は、時間と空間を越えて情報を保存したり、記録したり、転送したり、編集したりすることを可能にしていった。いわば、人間の身体の限界を越えて、情報化した視覚や聴覚が外部に飛び出して行ったのである。
 また、逆説的なことにそれは、世界をまさに実在としてではなく、外在化された情報として所有したいという新たな欲望を生みだした。すなわち、写真やレコードなどの明確な形を取った情報の方が、現実の知覚よりも確固として、リアリティをもったものとして感じられるような別な世界の遠近法を生みだしたのである。これは倒錯かもしれないが、しかし歴史的不可逆性を伴った必然的な倒錯であった。
 目が捉える不明瞭で混濁した視覚像も、写真はよりはっきりと捉えてくれる。いわば、フィードラーの純粋視覚性とは、ふたつの動機に支えられていたと考えられるのである。すなわち、それは一方においては精神の外在化と不在をもたらす見る機械としての写真の出現という危機から芸術の主体的で内的な形成作用を防衛しようという動機に支えられていたと同時に、反対に他方においては、そうしたテクノロジーが可能にした知覚の外在化と編集可能性という認識を更に芸術の領域へと拡張してもいるのである。その認識論的なボキャブラリーがそのことを見えにくくしているとはいえ、「視覚性」を自律的なものとして他の感覚や概念から切り離して語るフィードラーの言説は明らかに後者の視点の存在を示しているのだ。
ぼくは、こうした視点を先に「知覚の編集」あるいは「知覚の組織化」という言葉で呼んだ。ここには知覚の過程に対する一種の外的なものの侵入という事態が含意されている。いわば従来すべての認識の基底にあり、認識を支えていると考えられていた身体による知覚そのものが、技術の発展段階において、外在化され、一種の編集や再組織化の操作の対象と考えられるようになったという点が重要なのである。そして、モダニズム以降の「芸術」とは少なくとも暗黙的には、常にこうした身体の構えに編集的に関わることによって、固定した知覚を変え、新しい世界との関係を打ち立てることを目指していたのである。
 こうした文脈に置いてみたとき、今世紀初めのアヴァンギャルド芸術は、まさしく自覚的に身体の「構え」をこうした外部性とショートさせることによって溶解させ、世界との新しい関係を作りだそうとする試みであったことがわかるだろう。たとえば、ロシア・フォルマリスムにおいては、文字どおり「自動化」した知覚の異化が語られ、ダダイズムやシュールレアリズムにおいては無意識や夢などの抑圧された身体情報が呼び出され、身体の政治学的操作とでも呼ぶべき新しいエネルギーの磁場を作りだした。ベンヤミンが明らかにしたように、それはクリエーションからオペレーションへの、世界の表象から世界の組み変えと編集への自覚的な移行だったのである。言うまでもなく、ここでの編集とは何かしら固定された立場からの情報制御を意味しているわけではなく、むしろその反対に「構え」を解体して別の関係を生成させるような空間を成立させるエンジニアリングなのである。


情報革命以降の芸術

 ところで二〇世紀になると、情報のテクノロジーは飛躍的に進歩していった。ラジオ、テレビの登場、電話網、無線ネットワークの拡大、そして第二次大戦後におけるコンピュータの登場と普及……これらの技術的革新は社会と人間の形態を大きく変えつつある。マクルーハンの言ったように、メディアが人間の身体の拡張であるとしたら、それは同時に身体の変容、増殖、拡大の装置でもあるはずである。
 とりわけコンピュータは情報のディジタル化によって、あらゆる情報を外在化し、その制御や編集を可能にした。領域によって技術の進歩のずれはあるとしても、人間の感覚に与えられるデータのすべてがコンピュータによって(ほぼ完全に)編集可能になることは充分予想される。また、感覚器官を経ずに直接神経と信号をやり取りする可能性も予測されるだろう。コンピュータによる画像や音楽の処理と、身体に直接関わるインナーテクノロジーやヴァーチャル・リアリティのシステム、そして最終的には人間の身体の構えの形成そのものをシミュレートしようとするAI(人工知能)のシステムなどは、したがって同じ一つの文化的切断に関わっているのである。それは人間と世界の関係、個人と社会の関係を既にして大きく変えてきている。
 こうした情報革命の中において、芸術はいかなる役割を果たすことができるだろうか。既に「芸術」の危機が唱えられて久しい。情報化社会はモダニズム以降の芸術をも商品化し、またアヴァンギャルドを支えていた直線的、進歩主義的な歴史観も風化してしまっている。それらは個人的の趣味的な消費対象として限定され、かつて持っていた社会的関係を失いつつあるのである。また、美術館、劇場、印刷物、レコードなどといった芸術を支えていたメディアも固定された役割を担わされ、芸術の活動性を限定してしまっている。
 しかしながら、先に述べたような身体情報技術として芸術の根源的な活動性を考えるならば、こうした近代が作り上げた「自律的文化領域」としての「近代芸術」の枠組みを越えたもっと広い意味でのテクネーとしての芸術の役割はむしろ増大しているのである。すなわち、近代芸術の枠を外して見れば、ヨガなどの宗教的訓練がそうであったのと同じように、芸術は太古から宇宙と人間を媒介する身体技術のひとつであったはずだ。極端に言えば、スローターダイクの言うように「芸術」が西欧におけるタントリズムの代用であったと言うことだってけっして無理ではないのである。(5)
 テクノロジーが技術のシステム的思考として、ぼくたちの身体=意識を固定した回路に閉じこめようとするのに対して、身体の自由な形態を開いていく情報編集のもうひとつのエンジニアリングとしての、知覚と身体の情報工学、あるいは修辞学としての活動性は、必ずしも「近代芸術」の伝統と連続しないとしても、根源において同じ力に支えられていると言えるのではないだろうか。そして、それは究極においてはそのまま情報編集能力としての「生命」そのものと結びついているように思われるのである。



(1) 大沢真幸、『身体の比較社会学Ⅰ』、勁草書房、参照。
(2) モーリス・メルロ・ポンティ『見えるものと見えないもの』、滝浦静雄、木田元 訳、みすず書房、一九六頁
(3) 吉岡洋、「BUG’S MUSIC」、小杉+安藤『カタログ・フラッシュバッ ク』所収。
(4) コンラート・フィードラー、「芸術活動の根源」、『世界の名著続十五・近代の芸 術論』山崎正和監修、中央公論社所収、を参照。
(5) ペーター・スロータダイク「のらくら者の帰還あるいはアリバイの終わり」(吉岡 洋訳)、『芸術の終焉・芸術の未来』、勁草書房所収を参照。

 

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