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「知のドラマツルギー」(初出:図書新聞1997年7月)

 

室井尚vs吉見俊哉

 

室井 昨年、阪神大震災やオウム真理教の一連の事件が終わって、今年はそれらの「戦争」が終わった「焼け跡の青空」の下で新たにものを考えていかなくてはならないという感じがするわけですが、と言っても何か新しい事態が始まったわけではない。九〇年代になってからずっと続いてきた大きな世界史的変動の中に、僕たちは相変わらずいるわけです。それは基本的には冷戦構造の終焉、つまり八九年のベルリンの壁の崩壊と九一年のソ連邦の解体という出来事によって顕在化してきた変化だろうと思います。そこには二つの特徴がある。
 一つは、冷戦構造が維持してきた固定した世界の分割線(東西、そしてその内部に引かれていた南北の分割線)が無効になってしまった。そして、国民国家というものの内実が崩壊し、相対化されて、民族・地域・宗教・文化などが枠組みを失って、あらゆるレベルにおける領域横断的、境界侵犯的な動きが露呈されてきている。これがグローバリゼーションという言葉で呼ばれているわけですが、そのグローバリゼーションの中では、旧来の東西南北の対立はもとより、国家や個人や社会が背負ってきた文化的近代の枠組がどんどん崩壊してきているわけです。そのために、冷戦構造のなかで見えにくかったさまざまな矛盾や差異が、これまでの思考の枠組みでは捉えきれない外部として露呈し始めていると思うんです。暴力やウィルス、テロや内戦、人種・民族・宗教・ジェンダー・マイノリティ、あるいはポストコロニアルやディアスポラといったさまざまな主題で語られている問題は、このように見ていけば冷戦以降のグローバリゼーションという視点から語ることができると思います。
 もう一つの大きな変化は、グローバリゼーションの基盤としてのコミュニケーションの組織形態の大規模な変動、つまりメディア・ネットワークの重要性の中にあると思います。知識や情報が組織化されていく形態やその構造そのものが非常に大きな変動のさなかにある。マクルーハンの言うような活字を中心とした近代的な知識人、つまり知の特権的な発信者、組織者の地位の失墜であるとか、それに対抗するマルカルチャーのような別の形での知的組織化がきわめて大きな影響力をふるうようになった。たとえば、ロックやマンガやコンピュータ・カルチャーのような、これまでとは違った場所で組織された知識や情報が大きな影響力をもつようになってきている。そして、これらの新しいメディア・ネットワーク、特にコンピュータのネットワークが、これまでにない多様で複雑な形の情報の流通を作り上げている。おそらく僕たちはグーテンベルク以降の大きなコミュニケーション革命の端緒にいるんじゃないかと思えるんです。とりわけ今年目につくことは、パソコンやインターネットがごく普通の人々にまで広まってきたということです。インターネットがどのようなメディアになるか、まだ定かには見えないわけですけれど、とりあえずホームページを通して誰でも世界中に情報が発信できるんだという幻想が支配的なわけです。これなんかは、今までの知識の組織化とは全く違うことが始まっているのではないかという気もするわけです。

吉見 いま室井さんの方から、国民国家の揺らぎの問題と、コミュニケーション形態の根本的変容という二つの大きな論点を出していただいたわけですが、それらは今年になって起こってきた世間の具体的な動きのなかにも全部投影されていると思うんです。たとえばTBS問題はいまの二つの問題と両面で関係している気がします。
 つまりワイドショーのなかでオウムが叩かれていったり、オウムに関わったとされる島田祐巳がバッシングされていって、いわばひじょうにファシズム的な、異物に対する恐怖感から、それをメディアの言説のなかから抑圧していくことがマスメディア全体がTBSをバッシングしていく過程で繰り返されたと思うんです。これは国民国家的な言説空間が自己防衛的に働いた現象のような気がします。つまり視聴者やテレビ局という国民国家の中で今までは安定して機能してきたメディアのシステムが自らの綻びをなかば感じつつ、それを防衛するためにTBSを排除するということが露骨な形で出てきた出来事とも言える。そういうネーションの側の防衛機制的な作用が現れてきており、もう一方で、グローバルなレベルでのコミュニケーション形態の変容の問題とも関わっているような気がするんです。
 例えばTBS問題で盛んに言われたことは、報道のワイドショー化への批判とか、ジャーナリスト精神の復活の議論、視聴率第一主義への批判、あるいは番組の下請け制のために放送局の主体性が失われていることへの批判というようなことですよね。僕はこれらの言説はどれも後ろ向きなものだと思えてならない。例えば下請け制のために放送局の主体性が失われていることへの批判は、実は数多くのプロダクションが放送局から離れて、自分たちの視点からいろいろな映像テキストを生産するようなシステムに社会が移行しつつあることの裏返しなわけです。それは放送局が映像メディアを独占的に生産して、それをジャーナリズムの名の下にネーションワイドに流通させていくシステムから離れて、今の放送ネットワークや有線のネットワークやインターネットのネットワークの中で重層的に流通していくようなシステムへの転換期を表しているんじゃないか。これまでのテレビ局は国民国家を前提にした公共性を独占的に担保してきたわけですが、そういうことは今後はもはや主流ではなくなって、放送局は映像テキストの流通業に過ぎなくなっていくだろう。そこで生産される映像テキストはそれまでの国民国家や放送局に担保されるのではない形の公共性が設定されていき、その中でパブリックな映像の共有形態が出てくるような気がします。少なくとも現在はそういう方向に向かいつつある過渡期だと位置づけられる。するとTBS問題も先程の処方箋のような問題の立て方ではなく、もっとグローバルなコミュニケーション・ネットワークの変容の過程で捉えなければならないし、ジャーナリズムや公共性の概念そのものが今変わりつつある、その変わり方を見据えていくことが必要だと思います。

室井 確かにそうだと思いますね。いまTBSやオウムへのバッシングとして現れているものは、国民国家に基づいた僕たちの世界観の形成がもはや有効ではなくなってきているということに対する人々の不安の現れですよね。大澤真幸が言っていることですが、日本人はマスコミにマインド・コントロールされているというオウムの言説と、マスコミによるオウムやTBS叩きの言説は同型なのです。つまり陰謀史観とは何かと言えば、背後に隠れている本当に悪い黒幕がいてそいつが全部悪いんだという考え方ですよね。TBS問題の時にもTBSの中に潜むオウムやオウム協力者を叩いて、管理を強化すればいいんだと言われましたが、本当にそんなことを信じている人は誰もいないと思うんです。いないけれども、そういうフィクションをもってくることでみんな安心したい。オウムについても同様で、その真の意図や黒幕を暴きたいのであって、それ以外の信者はみんなマインド・コントロールされていた無睾の人々であると信じたいという機制が働く。それはどういうことかと言うと、背後にある特権的な主体や権力を特定できないということに、みんな気づき始めているし、これまでのようなすべての情報を管理している「背後の著者」のようなものを特定できないんだということに気づき始めていると思うんです。そのことがまた著作権をめぐる議論とか、インターネットの規制の問題というところで現れてきていると思いますね。

吉見 大きな流れで言うと、放送局にしろオウムにしろ著者にしろ、そういう主体が特定できない状況がますます広がりつつあるにもかかわらず、それを人為的に集合意識的に特定することで、自らのアイデンティティを措定しようとする。例えばテレビ局の場合なら、映像を消費する自己のアイデンティティは安定するわけです。一方でどんどん主体が解体していく方向に進みながらも、それをもう一度ネーションの枠組みの中に、あるいはメディアの相互関係性の中に囲い込もうとする。そうした動きが現在行きつ戻りつしている状態であり、それがTBSの問題にしてもおそらく沖縄の問題にしても現れている気がします。

室井 そのことは近代における代表的な知の組織者である知識人階級の位置の変化にも関わっていると思いますね。近代的な個人の代表者である「著者」としての知識人が社会に対しての影響力ある解釈コードを提供するということを、僕たちは内心では信じていないのに、建て前であるかのように繰り返してきた。オウムの時も同様だったわけですが、実際にはオウムをバッシングする知識人のほとんどはオウムの言説とほとんど同型的な言説でしかそれを対象化できなかった。これは似非知識人ではなく「真の」知識人が必要だというようなこととは違うと思うんですね。つまり、知識人を含む近代的な主体のあり方、それが言説を生み出していく形態に大きな変化が現れつつあるのではないでしょうか。

吉見 そのことで言えば、ここのところで起きてきた諸問題に対して圧倒的に弱かったと思うのは、そういう言説の変遷していく場の政治への批判の力というものだったと思います。例えばテレビの映像テキストに対するきちっとしたアーカイブを作ってこなかった。日常的に流通していく映像テキストに対して、それをどう批評していけばいいのか、それは単なる記号論的な批評ということではなくて、人々がその映像を受けとめることによって、それをどう読んでおり、それを受け入れるプロセスの中でどういう政治学が働き、それがナショナルに広がった場合どんな政治学を作り出していくのかに対する分析の弱さが、この一、二年の現象の中ですごく痛感してきたことなんです。
 僕がカルチュラル・スタディーズを考えることが必要だと思う一つの理由は、メディア・テキストの問題です。メディアを日常的に流れるさまざまなテキストを人々が受けとめて、自己表現していくときに、ある言説の場の政治学が働くわけで、そこを読み解いていく戦略が必要だと思うんです。

室井 僕もその準備段階から参加していたわけですが、吉見さんを中心に東大で「カルチュラル・スタディーズとの対話」という連続シンポジウムが開かれて、このところ若い人たちから熱い関心が寄せられている。そのあたりのことについてちょっと話を聞かせていただけませんか。

吉見 僕は別にカルチュラル・スタディーズを背負っているわけではないんですよ(笑)。シンポジウムは九六年の三月にあったんですが、そのための研究会を九五年の五月からやりましたが、ちょうどオウム事件が噴出した時期にあたるんです。それまではカルチュラル・スタディーズに対してはそんなに関心が持たれてはいなかった。
 研究会を立ち上げる前までのカルチュラル・スタディーズのイメージは二つあって、一つはマスコミ研究のなかでのもので、一言で言えばメディアの受け手の研究です。その研究は二つの仮想敵を持っており、一つはアメリカの実証主義的・行動主義的なマスコミ研究に対するアンチです。メディアというものが中立的な媒体であり、送り手の側のテキストを機能主義的に受け手が利用してそこから満足を引き出してくるという言説に対して、むしろメディア・テキストが持っている権力や政治的な作用を見てゆこうという方向です。もう一つは、政治・経済学的な、マルクス主義的なメディア研究に対するアンチというのがあり、つまりメディアは資本主義的な生産システムの中で生産される商品であり、視聴者によって消費されるものである。だから政治・経済的なシステムの中でのイデオロギー的な操作のメカニズムを見なければならないというアプローチへのアンチというものもある。後者に関しては、カルチュラル・スタディーズは、むしろ受け手の読みの多様性を強調していった。
 そういう左と右へのアンチを設定したんですが、どちらかと言えば、メディアの受け手の読みの多様性を強調する傾向があり、するとカルチュラル・スタディーズはそれまでの機能主義的なものとも接続可能になるんじゃないかという議論が出てきた。したがって、マスコミ研究の枠の中で、受け手の読みの多様性を強調する議論としての面が確かにあったように思います。でも、僕たちが最初にやろうとしたことは、そういう一方向的なものじゃなくて、メディアの言説が消費される場全体のポリティクスを読みとるものであって、それを政治的なマクロなシステムに還元するのではなく、言説の場の政治性を読みとっていこうとするものなんです。むしろカルチュラル・スタディーズをマスコミ研究の中に閉じこめてしまうことに対して異を唱えたかった。もっとフェミニズムの問題や、ポストコロニアリズムの文脈とつながるものとして、つまりグローバルな言説状況の枠組みの中でメディアの問題を考えるべきだと思いました。一方カルチュラル・スタディーズには「差異の政治学」と呼ばれるようなイメージがあって、ネーション批判やポスト・コロニアリズム批評と密接に結びついていく議論の展開もあった。それはアメリカのカルチュラル・スタディーズのドミナントな傾向なんですね。
 すると研究会を推進する中で、「思想」や「現代思想」がカルチュラル・スタディーズの特集を組んだりして、むしろ中心化してしまったのは後者のネーション批判と結びついたものだったわけです。それは確かにある部分はこちらの意図した通りのものになっていったわけですが、しかし、そこを飛び越えてカルチュラル・スタディーズという言葉だけが独り歩きして、文化商品として流通してしまう傾向も出てきた。つまり実体的な方法論としてのカルチュラル・スタディーズという物象化されたものになっていって、現象の多様な側面を切り開くものという幻想が流布されつつあるような気もしてきた。でも、それはこちらの意図を飛び越えて状況が進んでしまった戸惑いでもあるんですね。つまり、メディア研究に閉じこめることへの批判から僕らはそれを始めたんですが、でもメディアにはこだわっているわけで、そのメディア性を越えてしまい、それが切れたところでカルチュラル・スタディーズが流布することにはやや危惧を抱くようになった。

室井 そうですね。カルチュラル・スタディーズという言葉だけが独り歩きして、魔法の呪文のように考えられている状況というのがあると思うんですね。それは、今のお勉強好きな大学生あたりに蔓延している雰囲気があって、たとえば講談社から現代哲学の叢書が出ましたが、ああいうものへの関心が意外と強い。つまりもう一度大文字の思想とか哲学とかに頼りたいという気分があって、その時にカルチュラル・スタディーズという言葉がとても魅力的に感じられているということがあると思うんですよ。と言う僕自身も実はカルチュラル・スタディーズに対して過大な期待を持っていたんですね。まさにグローバライズした世界での新しい言説の政治学といえるものじゃないかと思っていたんです。ところが、実際に研究会に出たり、イギリスのカルチュラル・スタディーズの連中と話をしてみて、かなりがっかりさせられるところも大きかった。
 確かにスチュアート・ホールという人はひじょうに面白いしユニークで才能のある思想家だと思います。七〇年代に彼が「エンコーディング/ディコーディング」を書いたときには、社会学的なコミュニケーション・モデルに対抗する遅れてきた記号論のように感じられて、それほど魅力的とは思わなかった。でも八〇年代以降の、ポストモダニズムとの対話を経てからの彼の理論的な活動は、僕にとってきわめて魅力的であったし、ユニークなものと感じられたんですね。けれども、彼の周囲にいるそれ以外の人たちの方法論は過去の繰り返しにすぎないような古いものに見えますし、余り魅力は感じなかった。確かに分析の対象は、サブカルチャーやエスニシティ、ジェンダーといった現代的なものかもしれませんが、研究動機や方法論には使い古されたプログラムがずいぶん目につきました。
 先程、吉見さんがカルチュラル・スタディーズの系譜を話した時に触れられなかったもう一つの流れとして、批評理論の系譜があると思うんです。たとえば、コミュニケーションの問題にしても、既に文学研究の方では記号論とか解釈学の流れを受けた批評理論とかディコンストラクションとか、単純なコードとメッセージには還元できないような形でずっと議論されてきたわけです。特にアメリカでは解釈学やディコンストラクションの影響はひじょうに大きかった。ディコンストラクションというのはテキストや言説に隠されている権力の布置を暴き出して、そのテキストをもう一度記号の無根拠でアナーキーな戯れに差し戻していこう、つまり解釈の多様性を開いていこうというような立場だったわけです。それがアメリカでは一つのディシプリンとしてプログラム化されていったわけです。それに対して、フェミニズム批評を初めとして、マイノリティの人たちがテキストを中立的な記号の戯れに還元してしまうことに反発して、読みの中に政治性を取り戻そうとした。まさしくテキストが代表し圧しつけてくる隠蔽された権力を暴露して、抑圧者を名指し、そこに支配や抑圧の構造を暴き立てることに移行していったと思います。でも、なぜか日本では、ディコンストラクション以降のこうした流れは余り紹介されなかった。文学研究者たちはそうした「差異の政治学」の流れにはあまり関心を寄せなかったようです。それがカルチュラル・スタディーズの中で再び浮上してきているというようなことがあるのではないか。
 たとえば、ポストモダニズムをどう捉えるかというのはここでひじょうに大きな問題になってくるのではないかと思います。乱暴な言い方をするならば、ポストモダンにはディコンストラクションと同様に、すべてを記号の無根拠な戯れの中に解消してしまおうという傾向があった。いわゆる「何でもありのポストモダニズム」という言い方をされるような、閉鎖的な空間における戯れにすべてを解消してしまう傾向を、確かにポストモダニズムは持っていたと思うんです。しかし、それこそがまさしく冷戦構造の作り出してきた効果なのではないか。つまり冷戦構造とは、歴史が宙づりになって凍りついた時間の中にその構造の外部が隠蔽されてしまうようなもので、無歴史的な世界で無際限に記号のゲームを繰り返しているだけであった。そうした隠蔽が確かにポストモダンの時代にはあったとは思うんですが、しかしポストモダンという問題提起はそればかりではない。問題はそれを冷戦後の世界にどのように引き継いでいくかということだと思うんです。スチュアート・ホールという人はそのあたりのこともひじょうによく分かっていると感じるんですが、他のメンバーはどうかというと、少し疑問があるんです。

吉見 いまの室井さんの話は、テキストのレベルでの意味の浮遊性の中からテキストを解体することに対して、マイノリティの側からその問い直しが出現し、それがカルチュラル・スタディーズに通じる流れが出てきたというのは僕もよく理解できるわけです。なぜそこにカルチュラル・スタディーズが行ったのか。僕自身がやっているのは、どちらかと言えば大衆文化の方で、一般のテレビや広告、盛り場や博覧会というレベルでの受容プロセスの政治学をやろうとしているんですが、そういうポピュラー文化の政治学としてやられてきたものとカルチュラル・スタディーズが繋がっていくことはあると思う。そういうポピュラー文化の研究においてやはり新しい可能性を七〇年代から八〇年代にかけて、スチュアート・ホールを中心とするイギリスの研究者たちが、さまざまに切り開いていったことも確かなんじゃないかと思います。
 それはどういうことかと言えば、先程二つの、アメリカの行動主義的・実証主義的なマスコミュニケーション理論への批判と、政治・経済学的な文化産業論的な大衆文化論に対する批判がカルチュラル・スタディーズの仮想敵であったと言いましたが、もう一つそれが相対化したものがあって、それは七〇年代から八〇年代にかけての記号論的なテキスト理論だったわけです。記号論的なテキスト理論の中で、テキストの構造を脱構築していくといった議論が盛んにされたわけですが、その時にカルチュラル・スタディーズが持ち込んだのがオーディエンスの身体性です。そこでもジェンダーの問題やエスニシティの問題も当然入ってくるわけですが、テキストがどういう構造をもち、それがどのように解体していくのかというレベルの議論から、例えばリビング・ルームで、盛り場で、映画館で、あるいはライブハウスでという場の中で、そのテキストが受け手の身体にどう読まれていくのかという読みのエスノグラフィを変えていくことをやっていったと思う。モーレーやマクロビーたちの面白かった仕事というのは、そういうエスノグラフィの面白さだと思います。多様な読みをしていく過程で、リビングルームでジェンダーをめぐる権力が作動していったり、ロック少年が集まるライブハウスの周辺でエスニシティをめぐる権力が成立していったりする。つまりあるスタイルを彼らが演じていくその場の中で権力が作用していくという、テキストのレベルから、テキストと受け手の身体の具体的な場の政治学に問題を移していったところがある。そこに当然ジェンダーやエスニシティの問題が入ってこざるをえなかった。それは室井さんが言われた、ディコンストラクション批判やポストモダニズム批判のところで政治性の問題が入ってくることと同様なんですが、ただそのエスノグラフィが盛んに書かれたのが七〇年代から八〇年代初期までなんです。それ以降イギリスの研究者たちはエスノグラフィをあんまり書かなくなる。けれども、むしろ面白かったのはエスノグラフィわ書いていくところにあったんじゃないかと僕は思うんです。またエスノグラフィの他にも社会史的な分析というのもあり、つまり映画館の観客の身体の変化とか、テレビ視聴者の身体の変化とか、あるいは「境界侵犯」の中でアーロン・ホワイトが言ったように、都市の劇場の中での観客の身体のあり方とか、居間という場の中での女達の身体のあり方を探っていく。そういう作業の中に僕はカルチュラル・スタディーズのいちばんのエッセンスがあると思っているんです。

室井 それは全くその通りだと思いますね。批評理論がカルチュラル・スタディーズに先行していたというのではないわけですね。批評理論の、たとえば読者批評とか受容美学においては、読者や聴衆というものは固定したモデルの上で考えられていたと思うんですね。そのモデル自体がさらに具体的な場の中で分析、解体できるんです。それこそ権力の布置が主体や身体の中に含まれているんだという視点を提起したのは、率直に言ってカルチュラル・スタディーズの功績だと思うんです。それを承知であえて悪口を言わせてもらえば、「差異の政治学」と言われているものが往々にして相変わらずの古典的な政治学に引き戻されていると感じることがあるんです。つまり、マイノリティのアイデンティティ・ポリティクスのようなものに吸い寄せられていき、従来の固定された主体・集団間の政治的闘争だけがそこで取り上げられていく傾向が、僕には見受けられるんです。つまり、リサーチ・プロジェクトとしてカルチュラル・スタディーズ的な研究をやっていけば、そこで免責されるような雰囲気が見られるような気がする。そこを乗り越えるためには、やはりディコンストラクションにしてもポストモダニズムにしても、七〇年代から八〇年代にかけての議論をやり過ごすことなくどのように受けとめていくかということが必要だと思うんですね。
 ポストモダニズムは、ある意味では近代的な知のシステマティックなスタイルを解体しました。いわゆる大文字の主体の物語が解体され、拡散的で分裂的で流動的な主体と文化のあり方を提示した。スチュアート・ホールはそのことをけっして否定しようとはしない。むしろその上にポストモダニズムの多層化や多元化を考えていこうとしているように思います。僕はその姿勢には賛成なんです。たとえばポストモダンと旧来の左翼との相性の悪さのようなものがあって、ポストモダニズムがけっこう良心的で主体的な知識人の偶像を解体してしまったことに対して、それをもう一度カルチュラル・スタディーズを口実に復活させようとするような動きがある。僕はそれは間違っていると思うんです。ポストモダニズムが提唱した近代的な主体の解体はもはや不可逆的なものであって、それを近代の構図に内属する抵抗運動や左翼的な政治学のもとに回収しようというのは時代錯誤じゃないかと思います。たとえば、かつてのシチュアシオニスト・インターナショナルへの関心がひじょうに高まっているわけで、僕は必ずしもそれが悪いとは思いませんが、ただしああした芸術的アヴァンギャルディズムから出てきた壊乱のプロジェクトが現状でもそのまま有効であるとはとうてい思えないわけです。それは六〇年代的な方法、つまりポストモダン以前の方法を現在の状況に適用しようという反動というものではないでしょうか。もちろん、それほど心配する必要もないのかもしれませんが、たとえば今ホワイトの話が出ましたが、非本質主義的な知識人のあり方、壊乱的な知識人のモデルがあるわけですが、そういったものがポストモダニズム以前の、つまり六〇年代的な構図の中で繰り返されても、それでは何の解決にもつながらない。七〇年代と八〇年代を飛ばすようなことはできないのであって、やはり、ポストモダン以降の主体の布置の変容とか、現在のメディア・ネットワークやコミュニケーションの組織状況と密接な関係を保ちながら状況を見据えていく努力が必要なんじゃないか、ということを言いたいですね。

吉見 確かにカルチュラル・すタディーズという言葉を使ってしまうことで分かったような気になってしまう。それが何か運動のための道具であったり、マイノリティへの加担を既に担保されているための道具であったり、あるいはドミナントなものに対抗していく道具であったりする意味での使われ方をしてしまうのは、少なくとも僕が興味をもったカルチュラル・スタディーズとは違うのではないかと考えます。
 大きな流れで言えば、ポストモダニズムを批判する政治性、あるいはオーディエンスの身体や読み手の身体とメディアやテキストとの関係、あるいはそのテキストとそれを受けとめたり生産していく者との関係性の場の中での政治性を、そこに入れ込んでいくことであるという展望を開いていくことができると思っています。それが僕にとって一番重要なことなんです。そういうふうに考えれば、必ずしもテキストだけのレベルでポスト・コロニアリズムの言説はどうテキストの中に投影しているかですとか、あるジェンダーに対する対抗的な言説がいかに可能かということだけにカルチュラル・スタディーズの可能性が限定されるとは思わないんです。ただ、同時に僕が思うのは、カルチュラル・スタディーズということで、何か統一的なパラダイムとか理論的な地平があるということではなく、スチュアート・ホール自身も抽象的で一般的な理論としてカルチュラル・スタディーズを提示することを拒否しようとし続けていた。つまり、カルチュラル・スタディーズとは具体的な文化の状況の中からしか立ち上がらない。その状況の中で権力と文化、権力とテキストと身体の関係を考えていくということによってカルチュラル・スタディーズは捉えられるべきなんだということですね。そこは僕はまったくホールに共鳴するわけです。
 たとえば日本のテレビとオウムをめぐる報道を、日本のオーディエンスというアイデンティティを持って自己確認的に、しかも揺らぎに怯えながらどのように見ていったのか、しかも見ていく中でどういう政治学がその言説の消費過程で作動したのか。あるいは沖縄の問題をめぐって、沖縄のさまざまなディスコースがどう重層的に解釈されたのか。古い左翼的な言説の中で解釈されたのか、それともグローバルなメディア・ネットワークと結びついていたのか、その両方があると思います。あるいはハリウッドの映画という具体的なメディア・テキストの消費の政治学、つまりグローバルなメディア・ネットワークの中でどういう政治が作動しているのかということの戦略として、僕はカルチュラル・スタディーズを考えたいんです。それが、レイモンド・ウィリアムズ以来イギリスのカルチュラル・スタディーズがそもそもやろうとしていたことだと、僕は思っているんです。

室井 吉見さんは『都市のドラマツルギー』の中で「上演論的なパースペクティブ」ということを書いていらっしゃる。それは近代的主体ではなくて、場所における構成的要素としての主体、つまり演者としての主体という視点なんですね。僕はこういう「上演論的パースペクティブ」は今後ますます重要になってくると思うんですね。今までのような古典的な主体把握をベースにした文化理論の時代が終わりつつあって、いま吉見さんが言われた具体的な場に生起する主体の形、パーフォマーとしての主体の形を捉えていかなければならないと考えるわけです。主体と言いましたが、それは非主体と言ってもいいんです。舞台の上に出ている俳優は舞台裏でも生きているわけだし、あるいは空港の待合室にいるようなどこにも属さないトランジットの主体、移動中の主体のあり方もあるわけですね。そういったものが特定のある場所においてアクチュアライズされていくところでしか、主体における権力の複線的な交錯が捉えられないということだと思います。ただ、その場合に気になるのは、それを理論化していく自分とは一体なにかということなんですね。吉見さんは学問の「領域横断性」を解き放って行かなくてはならないと言っていますが、実際はそのことがますます困難になりつつあるのが現状ではないか。カルチュラル・スタディーズの研究会にはまさしくさまざまな領域の人が集まって、お互いの方法論やボキャブラリーの違いが強調されていた。つまり、これまでの学問的流派がどんどん個別化していって、それらの横断性を開いていくことはますます困難になってきていると実感したわけです。すると、見かけのハイブリッドとかポリフォニーとかいったものからはどんどん逆行していく。だとすると、まさしく知識のドラマツルギーこそが緊急の課題となっていくのではないでしょうか。

吉見 八〇年代に、僕が『都市のドラマツルギー』で「上演論的なパースペクティブ」というのを出した時には、前田愛さんがやられたような都市記号論へのある種の批判だったような気がするんです。前田さんは都市論の中で具体的な東京と近代文学を繋ぐ一つのパラダイムを示し得たと思うんですが、ただ、やはりあるクレバスに入ってしまったところもあると思うんです。前田さんの都市記号論に欠けていたものは、テキストが読まれていくコンテキストの中で主体が生産され、それがさまざまに抽象化していくその場を政治性が本当は作動していたはずだという視点なんですね。つまり都市をテキストとして読むということだけじゃなくて、実は都市をテキストとして読む場が、近代日本の都市の中でその歴史性と政治性と絡んでどう成立したかということをもっと前田さんは問題にしえたんじゃなかったか。そのことをやろうとした時に、やや比喩的に言えば、テキスト論というよりも「」の中で「」をどう生産されるかを問題にすることができる。これはいま考えると、七〇年代から八〇年代にかけてのカルチュラル・スタディーズが、映画やテレビのテキスト論的な分析を批判したオーディエンスの身体性と、身体とテキストをめぐる政治性を埋め込んでいこうとした意図と重なっていたんじゃないかと、勝手に解釈しているんです。
 僕が興味をもっているのもその延長線上のことであって、つまり都市空間というテキストであれ、あるいは広告やメディアのテキストであれ、あるいは映画館やデパートの空間テキストであれ、そういうテキストが社会的な場の中でどう構成され脱構築されていくのか。その場の政治性を読みとるべく、そのコンテキストの政治そのものを近代の歴史から読みとっていく作業自体が、われわれの主体にどう関わり形成していくのかということと繋がっていくように思えるんです。ところがそれを語っていくためには、既存の社会学的なディスコース、あるいは経済学や地理学的なディスコースにおいては捉えきれないものがあるという気がするんです。もちろんフーコーやロラン・バルトやサイードやスチュアート・ホールなどの、七〇年代以降の知的な言説というものはそのようなディシプリンの枠を超えていますから、それらの言説の広がりの中で考えていくことができるんですね。その広がりを前提にした時に、ある種のディシプリンとしての社会学、ディシプリンとしての人類学や歴史学というものは、それを前提にしたりその延長線上で語る必要もなくなっているんですね。そうならば確かに、そういう領域横断的にポスト・ディシプリン的にものごとを提示するということは難しくなっていると思うんです。しかし、もしそうならばディシプリン的な語りがどういう言説の場の中で、コンテキストの中で成立してきたのか、その成立してきた言説の地平がメディア・ネットワークの再編の中でどうなりつつあるのかを考える作業が必要なんじゃないかと思いますね。

室井 まさしく『都市のドラマツルギー』における「新宿」や「渋谷」と同様に、言説の上演論的な場というものについても語ることができるような気がするんですね。すると、いま古いシステムが完全にガタがきて、さまざまな異者や他者が噴出してる。そういう言説の世界におけるさまざまな真空として現れている外部をどのように引き出し、接合していくかということが、つまり上演論的ということで言えば、ぼくらが言説の舞台をどのように作り上げていくかということが、いま問われているように思えるんです。ですから、演劇的なモデルにこだわるならば、僕は知における演劇性、もしくは演劇的な知が再び問われてくるような予感がする。そのような言説におけるウィルス的なもの、外部という真空を言説の舞台に引き上げてみたいと個人的には思っているのです。

吉見 七〇年代の後半に、演劇的な知ということが盛んに言われた時、そこでは比喩的に言えば、劇場の問題、つまり演劇的な知が布置されている舞台なり劇場なりの歴史性とか政治性とか、それからナショナルな言説空間の中での布置やグローバルなシステムの中での変容とかいった問題は、やや視野の外に置かれていたんじゃないか。なぜなら七〇年代から八〇年代にかけては人類学が前提にされていましたから、演劇的な場を区切って、その閉塞的な場の中で演劇を語ることができた。しかし、いまもう一度演劇的な知というものを語るんだったら、その区切りを取り払って、歴史的であると同時にグローバルな劇場の中で、そのことを考える必要があるんじゃないかと考えます。

室井 劇場というよりメディアという言葉でもいいかもしれない。メディアを単に「差異の政治学」の設定された劇場としてだけ考える議論は不毛だと思うんです。逆にその舞台を作り上げている諸力に注目していかなければいけない。するとインターネットやコンピュータというような多様なメディア空間=劇場も、違った形で捉え直していくこともできるかもしれませんね。

 

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