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室井尚著『情報宇宙論』より

第八章 情報・身体・宇宙――いくつかの断章として



1 TVからTEへ

 もう、TVが死んでしまってから随分久しい。
 もちろん、それは滅んだわけではない。その反対に余りに拡散してしまったために、ほとんど「環境」と同化してしまったのだ。その中ではTVという独立したジャンルはもはやその固有の意味を失っている。
それにしてもTVとは一体何を意味していたのだろう? それはあの画像と音声を送受信する今では少し時代遅れとなった通信システムのことなのだろうか、それとも放送されているクイズやバラエティやニュースなどの番組のことなのだろうか? あるいはまた、広範囲をカバーする情報処理システム全体のことなのだろうか? だが、今ではこのような問いすら怪しくなってしまった。なぜなら、TVという概念自体がすっかり希薄なものとなってしまったからである。
 TVが生きていた時代――それはほんの短い間だったが、一九五〇年代後半から一九七〇年代までのことだった。この頃、ぼくたちはTVのある隣家に押し掛けていったり、街頭TVやTVのある食堂や喫茶店に詰めかけたり、床の間に置いたTVを中心に家族が集まったりしていた。それは、ウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」を観ても分かるように、かつてのラジオの役割を継承するものだったのである。もちろんその「世界の窓」としての機能はラジオを遥かに上回っていた。
 その頃、ぼくたちはTVの画面と向かいあって生きていた。それはぼくたちの「鏡」と言っても良かった。それを見ていることが、現代の日本人としてのアイデンティティを保証する、いわば生活のペースメーカーだったのだ。そして、そこにはいつもぼくたち自身が映っていた。
 それが風化しはじめたのには、恐らくは家庭用ヴィデオの普及と、ファミコンやパソコンの普及という二つのファクターが関係しているように思う。もちろん、それらは直接の原因と言うよりも目につきやすい兆候にすぎなかったのではあるが……。その頃からTVはTVではなくなった。言い換えればそれはもはや「窓」や「鏡」ではなくなったのだ。
 ヴィデオが普及し始めた頃、ぼくたちは映画館に行く度に、無意識のうちに存在しないリモコンのボタンを探るという意味不明の行動に悩まされた。ヴィデオの快楽とは、単に映像を集蔵し、保存することだけではなく、目の前に流れる時間を一時停止させたり、早送りしたり、リプレイしたりすることだったのだ。 「時間の編集」――これは家庭用ヴィデオが出て初めて分かったヴィデオの本質だった。ヴィデオはテレビから飛び込んで来る情報を、セーヴしたり、編集したり、書き換えたりすることを可能にした。その時からTVは「窓」ではなく、情報を編集できる「制御スクリーン」となったのだ。
また、さらにコンピュータが普及するにつれて、TVはモニターの一つの機能にすぎないことが明らかになった。それが最も端的に現れたのが八〇年代のファミコン・ブームである。
 子供たち(や、一部の大人)は、かつて世界がその一点から流れ込んできた窓であったTVの中で、自分の思い通りに動くゲームの主人公たちが作り出すシミュレーション世界の虜になり、TVは「TV放送も映りますよ」というモニターのひとつの機能に格下げされた。シミュレーション世界はゲームやソフトウェアの数だけ増殖し、その中にぼくたちは溶け出していった。
 現在では、同じ一つのリモコンでオーディオ装置とTV放送、ヴィデオ、ファミコンなどを切り替えることができるようになっている。また、今後有線TVや衛星放送などが増えるにつれて、一台のモニターを用いてますます多様なチャンネルを選択することができるようになるだろう。もちろん、モニターは一台どころか無限に増えていくのだ。ここでは「現実」だって一つのチャンネルにすぎないのである。
 このチャンネルの中には、当然映画やCDなどのソフト(それにしてもこうしたソフトの増え方の異常さはどうだろう!)や、過去のTV放送も含まれている。現在のTVでは、過去の番組の再放送やリメイクが盛んであるが、実際のところモニターからは過去も現在も消えたのだ。そこには「現在」しか存在しない。あるいはゲームの中のように、時間は編集可能なのである。かつてTVの中の情報は、リアルタイムで流れ、けっして後戻りできない川のようだった。だが、いまやそれは制御可能なデータ空間と化しているのだ。リモコンのボタンを押す度に、画面は過去の名画に、最新のMTVに、アイドルのクロースアップに、ファミコンに、昭和四十年代に、久米宏に、文字放送に、スチル・ヴィデオのディスプレイに、有線TVに変わる。パソコンをつなぐことによって、それはさらに電話回線を使った株取引やファックスの端末に、ヴィデオの編集機に、シンセサイザーに拡大される。
 TV放送とは、したがって、このマルチ端末が選択することができる一つの機能にすぎないのだ。そう考えた時に初めて、現在の、そして近い将来のTV放送のあり方を理解することができるだろう。すなわち、強力なネットワーク網と速報性を持ったリアルタイムのニュースだけが、TV放送の独自の魅力となっているのだ。だが、TVのニュース性というものは不変なのだろうか? 答はイエス、そして同時にノーであろう。なぜなら、ニュースもまた、マルチ・チャンネル化しており、多元的なデータ空間に解体されつつあるからである。たとえばNHKの衛星放送では各国のニュース番組の一部をそのまま流しているが、実際のところすべてのニュースを見ようと思ったら、一日分のニュースを見るのに十日以上かかるであろう。また、それが一定の解釈の政治学の中で変形されており、けっして客観報道など存在しないということなどは、今更確認するまでもあるまい。
 結局のところ事の本質はどこにあるのだろうか? それは、情報の組織化のシステムに大変化が起こりつつあるということに尽きるだろう。このことは文明のあり方自体が大きく変動しているということを示している。ふたつの文明がここでは拮抗しつつあるのだ。
 近代の市民社会が新聞や雑誌、ラジオ、テレビなどのマス・メディアの存在と深い関係があることは言うまでもないだろう。ここでは情報の流通はかつてなかったほど、大量にそして迅速に行われてきた。とりわけ、情報は中心へと集められるだけではなく、社会全体に隈なく配分されており、この中心と末端との情報の交換とフィードバックが常に行われていたことが、その特徴だろう。近代社会のこのような情報の組織化が歴史上かつてなかった種類のものであることは言うまでもない。
 だが、マス・メディアはその本性上、トゥリー状のヒエラルキーに厳格に縛られていたことも確かである。すなわち、情報はまず一端すべてが中央に集められた後に、社会に再配分されるという道筋を取らなくてはならない。つまり、情報の流通はけっして自由でも双方向的ではなく、一定のルートを経て不可逆的に流れるのだ。情報を受動的に受け取る存在としての匿名の「大衆」はこのようにして生まれたのである。だが、情報が主としてモノの形で流通しなくてはならず、またこうしたメディアを支える機械や資本が希少なものであった以上、このコミュニケーションの経路の限定は当然のものであったと言えよう。
 だが、現在進行中の情報処理能力の飛躍的な拡大によるメディアのマルチ化とネットワーク化とは、このような事情を根本から変えつつある。情報は複数のポイントで直接転移する。もはや、それは伝達されるのではなく、瞬時に転送されるのだ。つまり、ツリー状のシステムの上に蜘蛛の巣状にはめ込まれたネットワークの多頭的なコミュニケーションが過去の情報システムを侵食しつつあるのである。 
 マス・メディアの終焉? いや、もちろんマス・メディアそれ自体が消えるわけではない。最近頻発しているクーデタで、一番最初に占拠されるのがTV局や新聞であるのを見ても、情報の流通を支配しているのは、明らかにマス・メディアである。メディアを握っているものが、権力を握るという構造は変わっていない。だが、日本のようなポストモダン社会では、今やメディア自身がメディアの主なのだ。それは自己増殖し、氾濫し、炸裂する。一国に数台もあれば足りると考えられていた十年前の巨大コンピュータと同じ性能のパソコンがあっと言う間に何百万台もの数に達して、身の回りに氾濫しているように、こうした情報の流通の多極化、マルチ化、パーソナル化は益々進行するだろう。
 それは新しい文明、新しい人間を作り出しつつある。あらゆる情報とリンクするマルチ・メディア的なモニターに映っているのは、ぼくたち自身なのだ。いや、もう「鏡」のメタファーで語るのはよそう。むしろ、ぼくたちが無数の「私」に炸裂して、モニターのデータ空間の中を飛び回る電子の粒になりつつあると言った方が適当かもしれない。
 TVがテレ・ヴィジョン――すなわち、遠隔のものを目に見えるようにする道具であり、いわば「魔法の鏡」であったことは子供でも知っているだろう。だが、それは本当は「視覚を遠隔操縦する」ことでもあったのだ。いまや、視覚ばかりでなく、ぼくたちの感覚、実感のすべてが�Aこの操作的平面のただ中を駆け回っているのだ。ところで、リモコンを握っているのは一体誰か? それはメディア自身に媒介された無方向で無動機の欲動というしかあるまい。
 そして、それは第一章で紹介したようなTE=「テレ・イグジスタンス」といった、より汎情報宇宙的な別のイメージに飲み込まれつつある。近い将来に実現される光ケーブルによるマルチメディアネットワークは、ぼくたちの身体を更に複数化し、拡散させるようになるだろう。こうして、ぼくたちは「身体の遠隔操縦」――あるいは、「身体の遠隔化」を体験するようになるのだ。
 ここで、重要なのはそうした文明の進行をただ受け身で迎え入れること、あるいは反対にそうした身体の「遠隔化」を忌避することなどではなく、新しい身体の統合原理を作り出すことであろう。それは時間と空間の新しい組織化を模索することでもあるのだ。テレ・イグジスタンスやマルチ・エグジスタンスと唯一の私の身体との共存という一見逆説的な世界の統合原理を作り出さなくてはならない。それを原理的に不可能だということは誰にもできないはずである。なぜなら、ぼくたちは――いや、「自然」は――常にそうした、別のレベルでの全体化という跳躍の中にあったし、またこれからもそうあり続けるであろうからである。


2 フォトグラフの行方

 少し前の章でも書いたように、写真は最初の身体の遠隔化装置であった。
 ところで、最近日本でも写真関係の展覧会が目につくようになってきている。一九八九年は写真誕生一五〇年という一つの区切りの年だったわけだが、あと一五〇年後に写真がどうなっているかを考えてみるのも面白いかもしれない。それはどんな姿をしていることだろうか?
   ところで、写真に関する最近の動きは大きく分けると二つに分類できるように思われる。すなわち、ひとつは写真を用いた八〇年代の新しい表現に新しい可能性を見いだしていく、伝統的な写真芸術から大きくかけ離れた方向であり、もうひとつはいわゆる「写真芸術」の過去を振り返り、写真史のディスクールを構築しようというものである。
 この二つの傾向は一見全く逆の方向を向いているように見えるかもしれない。だが、実はこれらは実に単純明快な一つの共通した認識に基づいているのである。それは何かと言えば、「写真」が何であるかがますます見えにくくなってしまったという事実であろう。それどころか、もしかしたら意外と早い時期に「写真」という言葉が死語になってしまうかもしれないという危惧すらそこに嗅ぎとることができるのである。従来の写真を根本から疑い、新しい表現の可能性へと駆け抜けていく動きと、写真美術館を建て写真史の正統的な言説空間を作りだそうというもう一つの動きとは根本的には同じひとつの不安と危機感にうながされているのだ。
 もはや、「写真」はひとつのメディアでもなければ表現の一ジャンルでもない。それは消えたのではなくて、より自由な映像処理技術や映像メディアの中に拡散してしまったのだ。ついこの間まで外的なイメージの処理と言えば、写真とその姉妹である映画のふたつが代表選手であったわけだが、こうした光学的技術の時代が終わり、電子的映像処理の時代がすでに始まっている。たとえば、長い間アマチュアの映像作家にとって最も身近なメディアであった八ミリフィルムは数年のうちに完全に消えていく運命にある。写真もまた電子カメラに移行し、コンピュータによって加工したり、プリント以外の様々なアウトプットの形態をもったりするようになるだろう。視覚的な情報を自由にシンセサイズできる時代が目の前まで来ているのである。
 こうして「写真」は、レンズを通した光の痕跡を印画紙に転写する単一の技術というよりも、本来フォトグラフという言葉が意味していたように、「光で描く」技術、光や映像を自由に編集する技術となりつつあるのである。既に音楽情報がそうなっているように、映像、あるいはあらゆる視覚情報のサンプリングやシンセサイズへと時代は動きつつある。そうなれば写真と他の映像芸術を分けて考えることは早晩無意味になるだろうし、それどころか他の視覚情報や聴覚情報と区別する必要すらなくなってしまうかもしれない。つまり感覚情報のすべてを自由にデザインする可能性すら生まれてくるだろうからである。制度としての「写真」はこうしてますます拡散していくにちがいない。
 既に現在の状況を見ても、「写真」はあらゆる場所に存在している。雑誌や本などの印刷物に、テレビに、街角の広告に……。写真に代表されるこうした外的なイメージの氾濫の中にぼくたちは生きているのである。いわば環境世界とまでなってしまったこの外的イメージの交錯を離れて「現実」は存在しない。媒介されない「なまの現実」などはないのだ。こうなればリアリティとはナマの身体実感ではなく、むしろ様々なメディアや外的イメージによる多様なアクセス可能性と考えられるべきであろう。たとえば、海外の写真や映像を見るのと、現実に海外旅行をすることは、もはやシミュレーションと現実体験というお馴染みの対立によって語ることはできない。決まりきった場所を時間通りに通り過ぎるだけのパック旅行だって、やはりあらかじめ外的イメージによって媒介された経験にすぎないことに変わりないからである。多木浩二は『写真の誘惑』(岩波書店)の中で、写真の登場がぼくたちの経験領域を変えた歴史的大転換を象徴しているというようなことを書いている。つまり、ぼくたちの経験する世界が主体の支配下から外的イメージへと移行したというのである。一九世紀前半に流行したパノラマ館の観客は世界を一望の下に把握しようという欲望よりも、視覚のシミュレーションとしての外的イメージの戯れそれ自体への欲望に導かれていた。現実の風景よりも写真やヴィデオをオリジナルと考え、子供と遊ぶよりも子供のヴィデオを撮ることに熱中するような欲望の形は、かつては倒錯と批判されてきたが、これはいわば不可逆的で歴史的な倒錯であり、今や引き返すことはできなくなっている。また、これに対する倫理的な批判も全く無効なものにすぎない。したがって、問題はこうした倒錯から引き返すことではなく、その先へと駆け抜けることなのだ。
 二〇世紀後半の情報革命やコンピュータの出現は外的イメージ(あるいは外在化された感覚や情報)による主体と世界の剥離という事態を突出させたのである。情報はもはやぼくたちの頭の中に個別にファイルされるのではない。そうではなく、外部のデータベースとして、つまり外部記憶として世界を構成するのだ。それは主体にとっては消滅するものではあるが、逆に主体が消滅しても不滅であり、また現代においてはむしろ主体を支える役割をはたしてもいるのである。
 その意味では、八〇年代を代表する最大の映像作家として、例の少女殺しで話題を呼んだ容疑者Mの名前を挙げることができるかもしれない。彼の部屋には雑誌や写真の他、五七九三本(産経新聞八九年八月一八日付夕刊による)のヴィデオテープが山のように積み上げられており、そこにはまだ記録されていないブランクテープが数百本もあったそうである。約六〇〇〇本のヴィデオ・テープをすべて見ようと思ったら控えめに見ても一年以上はかかることだろう。そして、もちろんすべてを見ることなどはありえないのだ。また彼は更に数百時間分の時間をブランクテープという形で準備していたことになる。あれらのテープは彼が集蔵した時間と記憶そのものなのであり、Mにとって重要なのは外部記憶としてのテープに世界と主体をコレクションすることだったのである。テレビに映し出された彼の部屋の映像は、ぼくたちが置かれている状況をこれ以上ないほど見事に映し出していた。
 だが、これは八〇年代にとってだけ特徴的なことだったのだろうか? いや、そうではあるまい。「写真」とはそもそもこうしたおぞましい外部の領域を横断しながら成長してきたのである。それはダゲレオタイプの時代から内面化を頑なに拒んでおり、たとえばスティーグリッツやザンダーの作品もまたそうした「外部性」との対話を含んでいたのである。そして、それは八〇年代を駆け抜けた「写真作家」たち――たとえば、ダグ&マイク・スターンやジェフ・クーンズ等――が様々な形で引き受けている問題でもあるのだ。
 ところで話は変わるが、ある写真展のカタログを東京から送って貰った。たまたま台風とかちあって、送られてきたそれはきちんとパッケージされていたにもかかわらず、上半分が雨に濡れてしまっていた。ふやけて縞模様がついてしまった頁の写真は思いがけず美しく見えた。くにゃくにゃと曲がったカラー写真はまるで燃えているようだった。逆説的なことにそれは美術館の壁に額縁に入れられて飾られた「オリジナル」よりも美しかったのである。
 そういえば、雑誌などのグラビア写真が燃える様子は異様に美しい。試しにガス台に魚網でも置いて、それに火をつけて見てみるがいい。紫や緑の炎に包まれて、それはダンサーのように身をくねり、風景や人体を揮発させながら輝き出すだろう。それがモノとしての支持体から脱出しようとする瞬間、映像はその本来の液体性を取り戻すのだろうか。
 美術館の壁に架けられた小さな写真はどうも視る者に説明できない居心地の悪さを与えるようだ。ヴィデオ作品にもそれは言えることであるが、映像はモノではなくむしろ流体なのであり、額から外された写真がそうであるようにそれ自体ふにゃふにゃして捉えどころがないものである。ぼくたちはこの流体がいったいどこへ流れて行くのか、これからも追い続けていかなくてはならない。なぜなら、それは歴史的な切断によって「外部」へと溶け出した主体と世界のアマルガムをこねなおして、ぼくたちの時代の新しい身体と宇宙との関係を��闖繧ーることでもあるからだ。
 その意味では、写真の展覧会を見にいくぼくたちの任務とは、ここに一堂に集められとりあえずの秩序の下に壁に懸けられた「写真」たちを、もう一度ぼくたちのイメージの外部記憶に接続し、それらが本来属していたあのブラウン運動のような光の散乱の中にもう一度漂わせてみることなのかもしれない。


  3 サンプリングの宇宙

   サンプリングって何だろう?
 音楽の世界におけるサンプリングマシーンの普及に伴って、それは市民権を得た日常的な言葉になってきているし、また色々なメーカーから子供用の簡単で安価なサンプリングマシーンやサンプリング機能をもったシンセサイザーが出ている。ぼくの姪などもそうだが、子供達は犬や猫の鳴き声をサンプリングしてそれで簡単な曲を弾いたり、あるいは自分の声のパラメータを色々変えたりして遊ぶことができるのだ。だけど、それでは、サンプリングというのは何か音や音楽にだけ関わる特殊な技術なのかというと必ずしもそうではあるまい。むしろ、この言葉がいま注目を浴びているのは、ぼくたちの知覚や身体による「世界という情報」の処理過程全体を大きく変えていくような広がりを感じさせてくれるからなのである。
 さて、話を分かりやすくするために、「サンプリング」という言葉が何を意味しているのかを、簡単な例で考えてみよう。たとえば、「松田聖子」の声という「現実の音」がある。この音は個別的で特殊な身体を通して発せられた空気の振動として考えることができる。この空気の振動をマイクで拾って波形を解析しディジタル信号に変える。これらはいくつかの変数の集合としてデータ化される。こうして得られたパラメータを使ってもう一度その波形を作り出す。それは、元の声と基本的に同じ波形になっているはずであり、誰が聞いても「松田聖子」の声そのものであるはずだ。こうした波形を基本データとして音階を作ったり、パラメータを変えたり、他の音と組み合わせて自由に編集したりすることができるわけである。したがって、この原理を用いれば現実の音のすべてが人工的に復元できるばかりではなく、それをベースにして現実にはない音の集合を作り出すことも可能となるわけだ。たとえば、本人が歌っていない曲を「松田聖子」の声を使って作ることもできるし、そのパラメータを変えて「中山美穂」の声にすることもできるのである。
 したがって、言ってみればサンプリングとはコンピュータによる音のディジタル処理過程の一部にほかならない。波形を自由に合成する過程において、現実の音をひとつの「標本」(サンプル)として参照するというのが、サンプリングと呼ばれる操作である。つまり、右の例で言えば、サンプリングされた松田聖子の声とは、もはや「松田聖子」という個人の身体とは何の関わりももたない純粋なデータ群にすぎないわけだ。
 ということは、実はディジタル録音一般がすでにしてサンプリングなのである。つまり、スタジオで録音され、CDで再現される音もまさしく「サンプリングされた」音にほかならないのである。もちろん現在のCDは単に読み出ししかできない不便なメディアにすぎない。しかし、そこに記録されているディジタル情報とは、現実の音の標本から採取されたパラメータによって構成された波形データであり、したがってコンピュータによって編集可能なものなのだ。たとえば、CDに録音されたオーケストラのパートを別の楽器の音と入れ換えたり、編曲をしなおしたりということは――もし、CDがそのようなものとして設計されていたなら――容易にできるのである。また、実際にレコーディングの現場でなされている処理とは既にしてそうしたものである。TVやFM放送で流れる音楽は、だから、ディジタル処理された音をアナログ複製装置で再生するという転倒した状態で聴取されているのだ。また、コンサートのライブ録音の方が、実際のコンサート会場で聞こえる音よりも「臨場感に満ちている」といった奇妙な事態も生まれることになるのである。
 こんなふうに考えてみると、どうも「録音」にしても、それと区別するための「サンプリング」にしても、現実にそこでなされていることを説明する言葉としては、もう一つしっくりしない感じがすることはいなめない。一体録音=レコーディングとサンプリングの違いとは結局のところ何なのだろうか?
 音を作り出す技術として、最も古くからあったのは、言うまでもなく身体の技術としての声や手拍子と、身体の拡張としての楽器とであった。これらによって作り出される音は、表現主体と一体のものであり、歌い手や演奏家の身体と切り離すことができないものである。だから、歌い手のいない歌や演奏家のいない演奏は存在しえず、基本的に音楽は一回限りで反復不能な出来事であった。また、それを保存したり、伝承したりするためには別な人間の身体に直接受け継がれなくてはならなかった。
 やがて記譜法が工夫され、音楽の同一性がある程度保証されるようにはなった。だが、それも身体によるリアリゼーションのための指示を書き込んだ記号にすぎず、本質的に音楽はやはり一度限りの「演奏」行為によって支えられていることに変わりはなかったのである。
 それが楽譜などを使わずに記録できるようになったは、もちろんアナログ録音技術が生まれてからのことである。エジソンの蓄音機は、空気の振動と物理的な痕跡とを交互に変換させる装置であった。写真が光の痕跡の保存装置であったように、レコードは空気の振動を溝に刻み込み、そこから再び空気の振動を作り出すことによって、音楽を「いま/ここ」の一回性から切り離したのである。マイクロフォンがそこに介入しても、こうした事情は変わらなかった。つまり、このプロセスの中に電気的な操作が入っただけであって、音の振動の痕跡の処理という点においては同じことである。
 ところが、音のディジタル処理の場合は根本的に話が違ってくる。なぜなら、それは基本的に「痕跡」の処理ではないからだ。つまり、それはアナログ/ディジタル変換で得られた音のディジタル情報を対象とする技術であり、基本的にバイナリー・データとして保存されるものである。そこには、元の音の振動の「計測」が存在するだけであって、その「痕跡」は存在しない。いわば、アナログ情報処理技術がかろうじて保存していたオリジナルとの有機的な絆を欠いているわけである。その意味でディジタル録音が作り出すのは「音の記録」ではなくて、「もどき」としての音のシミュレーションだと言うことができるのである。
 更にそれは元の音とは全く関係無しに、自由に別のものに作り替えることができる。元々そこで作り出される音は、たとえば機械的に発生された正弦波にパラメータをつけ加えて合成されたものであり、素材としても元の音とは直接の関係がない。たとえば、波形を作り出すパラメータの一つに変更を加えることで、それは元の音とは全く違った響きをもつようになるだろう。また、音の組み合わせも自由に変えることができるので、元の曲とは全く異なる別の曲に変えることも容易である。その他その他、要するに何でも編集可能なのだ。
 要するに重要なのはサンプリングというよりも情報のディジタル処理そのものなのだ。したがってサンプリングは、音楽ばかりでなく、ディジタル化されうるあらゆる感覚データに適用されうるものである。たとえば、画像についても同じ様に、イメージ・サンプリングマシーンやイメージ・シンセサイザーというようなコンセプトを検討してみることができる。つまり、現在ではイメージスキャナーや電子カメラなどを通してコンピュータに取り込まれ、そこからヴィデオやプリンタに出力されるといった複雑な過程を経なくてはならないものが、近い将来には手軽に誰でもが操作できるようになるに違いない。
 写真に始まるPHOTO―GRAPH(光による記述)と、レコードに始まるPHONO―GRAPH(音による記述)の技術は、こうした情報のディジタル処理の技術によって、その「知覚過程の外在化」という本質を露呈しつつある。そして更には、触覚、味覚、嗅覚などといった「下級」感覚においてもそれがディジタル処理可能である限りにおいては、自由に編集が可能なこと、すなわち「感覚による記述」という編集過程が可能になるということを示唆しているのである。
 こうなってくると、サンプリングとは現実の再現や表象ではもちろんなく、かと いって複製や痕跡でもなく、情報の編集を通して別な現実を作り上げる、身体の拡大、増殖、変容装置であることがわかる。つまり、それは「仮想現実」とか「仮想身体」というものを作り上げるオペレーションなのだ。
 さてこのように考えた時に、サンプリングという技術の「可能性」を数え上げることはたやすい。たとえば、それは今まで不可能だった、あるいは少なくともかなり大がかりな準備が必要だった表現を個人にも可能にしてくれるだろう。たとえば、大編成のオーケストラをたった一人で作り上げることもできるし、手に入らない名演奏家や名器の音を誰でもが使えるようになるだろう。言うまでもなく、どんな人間の名人にも不可能な音域や速度を簡単に作り上げることもできるのだ。
 というと、人はすぐに「現在の」技術レベルを前提に、こうしたコンピュータを用いた音楽が人間の演奏にはかなわないというようなことを言いたがるものであるが、これらはすぐに克服されるだろう問題であることは間違いない。少なくとも原理的にはチェスのプログラムを作るよりはずっと簡単なことなのだ。しかも、数十年前には弱かったにしても、現在のコンピュータは人間のチェス名人を圧倒的に高い率で打ち負かすことができるのである。そこから考えても、人間の最高の演奏に近づき、それを越えるコンピュータ演奏は必ず実現されるだろう。このことはそんなに驚くべきことではない。ヴァイオリンの名手が居るように、コンピュータ音楽の名プログラマー=オペレーターが居ても不思議ではないからだ。細かい部分が自動制御されるようにうまくコーディングされたコンピュータがオーケストラの代わりになる日が来ることだろう。
 またコンピュータが普及することによって、表現が特別な訓練や技術教育を受けた専門家を離れて誰にでも可能になるという側面は見逃すことはできない。造形美術や音楽、さらには文学の創作過程においても、コンピュータに手助けをさせることによって、特別な技術をもたない個人にもかなりのことが自由にできるようになるだろう。したがって、これらの技術が安価で大量にパーソナルなものになることが必要であり、それはプロ用の高価で多機能の機器が開発されることよりもずっと重要なことであるように思われる。
 だが、ツールとしてのコンピュータの可能性を楽観的に語るだけでは充分でない。なぜなら、それは従来の身体を介した人間と世界の関係に大きな亀裂を与えることになるからだ。確かに、コンピュータは人間の身体や能力を拡大する道具=楽器である。だが、それは身体の有機的拡大である楽器とは根本的に違っている。たとえば、最近ではキーボード型のシンセサイザーばかりではなく、ギター型、サックス型などのいろいろなシンセサイザーが出ているが、ギターの弦を弾いている弾き手の身体の動きと、そこから生まれるたとえばフルートの音というミスマッチな感覚が生まれてくる。指で弦を弾いたり、鍵盤を押さえることが激しいブレス音を伴うフルートの音色を生み出すというのは不気味ではあるが、よく考えてみればインタフェースは何でも構わないのだ。どんな身体的な動きでも構わないし、よく言われるように究極的には脳波と直結することだって考えられなくはないのである。またヴォイスチェンジャーを通して、自分の発声が「松田聖子」の声(またしても!)に変わって出ていくことだってあるわけである。
 ここで、奇妙な感じがするのは何故だろう? それはおそらくブレス音や他者の声が自分の身体から出るようにぼくたちが感じるからにほかならない。ということは、サンプリングされているのはある意味では「身体」そのものなのである。つまり、「身体のサンプリング」によって、ぼくたちの身体は切り刻まれ、編集され、マルチ化され、遠隔化されているのだ。
 したがって、コンピュータが可能にしたディジタル情報処理とは、基本的には「身体の編集技術」なのである。そして、言うまでもなくこの場合の身体とは精神と区別される物質的身体ではなく、むしろ、「自己」や「世界」を生成する根源的な「場」としての身体にほかならない。したがって、それは「自己」や「世界」の編集でもあるのだ。そして、編集する自己もまたその編集の過程の中で作られていくのである。このように考えるなら、音楽、絵画、造形美術といったジャンルによる区別は余り意味をもたないだろう。ましてや、サンプリングとかコンピュータ処理とかが、たかだかそうした狭い領域の内部での新しい技法としてのみ捉えられるようなことがあってはならない。そうではなく、あらゆる感覚データや身体によるその組織化が編集可能なディジタル情報として考えられるということが重要なのだ。そこでは、身体自体が編集の対象になるのである。その意味であらゆる表現行為は改めて「身体の編集技術」として捉えなおすことができるだろう。
 したがって、それが「芸術」の領域を越えてしまっているのは当たり前のことなのだ。それは「芸術」における新しい局面でさえなく、むしろ「芸術」や「音楽」といった領域を無効にする可能性さえはらんでいるのである。といっても、別に驚くことはないだろう。なぜなら、そもそもぼくたちが「芸術」と呼んでいる狭い文化領域が、元々はやはり宇宙と人間をつなぐ広い意味での「身体技術」であったことは間違いないことであるからである。


4 戦争!

一九八九年に「昭和」が終わった。それと共にベルリンの壁が壊され、東欧諸国の民主化が始まった。日本では消費税をめぐる政治的空白と、まるでそれに呼応するかのような文化的空白が支配的であり、イラクのクウェート侵攻で揺さぶり起こされるまで、人々は呆けたように衛星テレビに映し出されるルーマニアやベルリンの出来事に見入って暮らしていた。いずれにしても、そこで何かが終わった。だが、何かが終わったということにつきものの筈の喪失感や安堵感の不在の中で、ぼくたちは相変わらず終わりなき表層のゲームをもてあそんでいただけであった。
 この半世紀の間、ぼくたちがずっと戦争の悪夢の下に暮らしていたことが今更のように思い起こされる。そして、「戦争」とは常に第二次世界大戦のことであった。八九年は第二次大戦によって作り出されたひとつの秩序の崩壊の序曲を奏でていたのである。
 「戦争」という言葉でぼくたちが思い起こすイメージは明らかに太平洋戦争のものである。そのイメージはその後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、西アジアや南米の戦乱などにも投影されている。そこでぼくたちが思い浮かべるものとは何だろう? 
 それはまず第一に国家権力による暴力であり、それによる個人や家族の生活の収奪や破壊である。無理矢理徴兵されて戦地に連れて行かれる。そこでは極めて高い確率で死が待ちかまえている。個人の生活のすべてが戦争の犠牲になり、破壊される。だが、第二にそれは、近代兵器による大量殺戮と大規模な破壊である。重火器や爆撃機、レーダー、そして原水爆に代表される破壊のテクノロジーは、戦争を人間の身体を遥かに越えたものにした。戦士の孤独は、彼が生活や家族から無理矢理引き離されたからばかりではなく、こうした人間の身体レベルを遥かに越えた大規模な戦闘の中で自分が虫けらでしかないということからくる孤独でもあった。かれの身体は巨大なシステムの中のネジ一本ほどの重さしかもたない。戦争という不条理と狂気が支配する世界の中で兵士はもはや、勇敢な闘士ではなく、無力な「肉」でしかありえない。そこでは「人間性」のすべてが踏みにじられるのだ。
 日本の「戦後」とは、こうした国家権力による組織的暴力としての「戦争」という悪夢あるいは精神的外傷を忘却しようとした時代だった。したがって、それはかつて奪われたものとしての個人と家族の生活を回復し、新たに獲得しようという時代でもあったのである。
 マイホーム、趣味の多様化、消費社会化はこうした個人主義と家族主義の表れであり、その背後にはそれらを破壊した近代戦争や国家に対する怨念が横たわっていた。したがって、昭和四〇年代の「戦争を知らない子供達」による、反戦運動や反戦思想は、基本的にはこうした個人的な自由や享楽を破壊する戦争への憎悪として現れたのである。プロテスト・ソングは、「戦場に行った恋人のジョニーの死」を悼み、暴力による理念の敗北を象徴する「血塗れの鳩」や「廃虚の鳩」を歌っていたが、それは「恋愛の喜び」や「ロックンロール・パーティ」を歌う同じ歌手やグループによって歌われていたのだった。
 日本がこうしてマイホーム的幸せを追求をしていた高度成長期時代、戦争は日本にとっていつでも「海の向こう」のものだった。だが、現実の戦争は大戦後の冷戦時代に突入して、内側から大きく変容しつつあったのである。
 いくつもの植民地、朝鮮、ベトナム、パレスチナなどで戦争は続いていたにもかかわらず、ぼくたちの思い浮かべる「第三次世界大戦」とは、決まってアメリカとソヴィエトの核戦争のことだった。究極の近代兵器としての核兵器は戦争を文字どおりクールなものにした。そこでは、最終的な勝敗はミサイルによって一瞬のうちに決まるのであり、白兵戦はもとより戦車や戦闘機すら背後に退くことになる。
 現在では世界各国の核保有量は既に地球全体を破壊できる量をはるかに越えているし、それどころか原子力潜水艦ひとつの事故でも地球が復旧不能なまで大破壊される可能性の中にぼくたちは生きている。あらゆる兵器や軍事力はこの核兵器が支配する巨大なシステムの一部として捉えられることになる。
 このことが意味しているのは、全面戦争が即時に破滅につながるということである。核の脅威は単に戦争当事国ばかりでなく周囲の国や地域全体を巻き込むようになる。また、核兵器を保有することは技術的にそれほど難しいわけではなく、紛争に関与している第三世界に属する国々がどんどん核兵器を保有するようになってきている。
 となると、戦争の目的は核兵器を使わず、また相手に使わせないということになるだろう。つまり、破滅を前提とした戦争、破滅を長引かせるための戦争しか存在しないことになるのだ。ぼくたちは、だから、引き延ばされた世界の終末を生きてきたのである。そして、それは既にして戦争の拡散であり、世界戦争は既に常に始まっていたのだ。
 現実に戦われた戦争はゲリラ戦であったり、局地戦争である。それらは解放のための戦いであったり、イデオロギーの戦いであったり、ヘゲモニーの争いであったりしたが、同時にこうした世界の終末に向かうシステムの中での遠隔制御された米ソによる代理戦争でもあった。
 だが、こうした局地戦が日本に全く関わりがなかったわけではない。それどころかメディアや交通の発展に伴って、こうした戦争は必ず世界中に大きな影響を与えることになったのだ。テレビカメラはどこにでも入り込み、戦闘の様子を映し出す。また、経済的な影響は不可避的となっている。戦争は世界的な投機の対象になるのだ。こうして世界の空間的距離の消滅によって、結局戦争は常にどこかで戦われており、どこにでもあることになるのである。メディアを通して、あるいは交通を通して恒常的に戦争状態が続いている。ぼくたちはいつも、すでに終わりなき戦争の直中にあるのだ。そのころから戦争は変わった。それは「地球の破滅」を賭け金とした全世界的、全領域的なゲームに姿を変えたのである。
 ところで、世界各地で続いているゲリラ戦や人民戦線による戦いを別にして、国家間の戦争は身体レベルを越えた巨大なシステム戦争となってきている。かつて戦士は肉体的/頭脳的/全身体的な戦争機械であった。ところが、戦争技術の速度と力の面における飛躍的な拡大は、戦争機械を脱身体化していった。SDIに代表されるこうした超近代戦争においては、人間の身体は何の意味ももたない。いわば、そこでは既にして「人間」が排除/疎外されており、その意味において兵士の身体は役立たずの身体、いわば廃虚としての身体と化しているのである。重要なのはシステムの一部となる頭脳だけであり、遠隔操作のオペレーターとしての人間なのだ。
 こう考えてみると、現実の戦争は、近代戦争のイメージからだいぶ離れてきていることに気づかざるをえないだろう。たとえば、そこでは個人の身体が家族や生活から強制的に切り離されているかどうかは余り問題ではない。通常の職業につきながら戦争に参加していることは充分にありうるのである。また、肉体的なダメージや死が存在しなくても、戦争は存在している。実際のところ、経済戦争とか情報戦争とか呼ばれるものは、もはや比喩ではないのだ。肉体から切り離された遠隔操縦の戦争は遍在しているのである。
 ところで、こうした戦争空間の変容は映画の中での戦争のイメージの変遷として考えることもできるだろう。
 たとえば、古典的な「戦争映画」というものがかつて存在した。一例としてジャン・ルノワールの『大いなる幻影』(1937)やデヴィッド・リーンの『戦場にかける橋』(1957)などが挙げられるだろう。これらは要するに戦争という非人間的な空間における、男達の友情や心の触れ合いといったヒューマニスティックなモチーフに支えられていた。戦いの中での激しい敵意や冷たい関係の中で全的な人間性の回復という特権的な瞬間が現れる。戦争の不条理で非日常的な空間に置かれた人間の狂気と、その人間性の回復というのが、これらの映画のテーマ群であったと言えるだろう。
 こうした図式はいわゆる反戦映画群にも共通している。たとえば、ロバート・アルトマンの「M・A・S・H」(1970)もまた、アイロニカルな人間賛歌であり、軍隊のばかばかしさが徹底的に笑いのめされるのであるが、ここでも非人間的な戦場と人間性とが対置されていた。要するに、これらは第二次世界大戦から朝鮮戦争にかけての「戦争」のイメージを前提としており、先に述べたような近代戦争の図式の上に成り立っていたのである。
 ところが、七〇年代に入ると戦争映画におけるこうした図式が徐々に解体し始める。この時期を代表する戦争映画は、ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」(1977)とフランシス・コッポラの「地獄の黙示録」(1979)だろう。スターウォーズは、SDI構想を先取りしており、まるでシューティング・ゲームのような操作スクリーン上における戦闘シーンを作りだした。ゲームのようだと言えば「地獄の黙示録」の有名なヘリによる機銃掃射のシーンもそうである。また、この映画の中に現れる兵士たちは河の泥にまみれており「ゾンビ」を思わせる。ここでは、戦争は効率と操作性に還元されている。孤独で勇敢な兵士というイメージは、もっとも早く正確にキーボードを操作するオペレーターというイメージに取って代わられるのだ。たとえば、「スター・ファイター」(1984)というB級映画では、ゲームマシンで最も高い得点を上げた少年が宇宙人にスカウトされるというエピソードがあるが、ここでは単なるゲームがうまいガキが最も優秀な戦闘士ということになってしまうのだ。ゲーム空間と戦争空間がここでは同じものになってしまうのである。
 そこでは、右に述べたように人間の身体や記憶は置き去りになってしまう。そこで、遺棄された身体として現れてくるのが「ゾンビ」なのだ。ジョージ・ロメロのゾンビ・シリーズ(1968~85)が示唆していたのは、こうした身体の廃虚としての「生きている死体」だったのである。「地獄の黙示録」の戦場であるヴェトナムは、もはや日常から切り離された異国の地ではなく、オープニングに流れる、ドラッグで死んだジム・モリソンがいたドアーズの音楽に象徴されていたように、アメリカの日常世界そのものだったのだ。もはや、戦争はそこでは日常と連続しており、日常世界そのものから身体が遺棄され始めてていたのである。
 このことは、70年代映画のもうひとつの潮流であった「オカルト」趣味や、あるいは「スターウォーズ」の中に現れる「フォース(理力)」といった、アナクロなイメージにも表れている。現実が既に操作的なゲーム空間と化してしまったところでは、人間の身体を回復するためにはそうした古代的な精神性に頼るか、あるいはゾンビとしての人間モドキの生を堪え忍ぶしかないのだ。
 リドリー・スコットの「ブレードランナー」(1982)はそうした意味で象徴的な作品であった。ここでは、レプリカントと呼ばれる戦闘用アンドロイドが描かれている。彼らは三年の生しか生きられないように作られているが、同時に生まれた時からの偽の記憶を埋め込まれている。いわば、シミュレーションとしての過去や記憶しかもたない存在である彼らが、人間としてのアイデンティティを求めて脱走するのである。
 大戦争後の廃虚や身体の廃虚といったイメージはその後もSFやサイバーパンクの中に多く現れてくる。要するに戦争の情報空間への移行は、人間の身体の廃虚化を意味しているのである。
 第三次大戦はしたがって既に始まっているのだ。だが、銃を取って打ち死にするというような「男らしい」死に方はもう余り残されていない。情報兵器によって殺されても、それは肉体的な死ではなく、ゾンビのような死体としての生を生き続けるだけなのである。ぼくたちが迎えつつあるのは、悲惨な死ではなく、悲惨な生存であり、恐れなくてはならないのは、大量殺戮ではなく、大量遺棄された生なのである。とすれば、ぼくたちは、かつて死者達の死を意味づけしたように、遺棄されている自らの生に新しい意味づけを作り出さなくてはならないだろう。ぼくたちは皆、生き続けている廃兵なのだから……。

 

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