top of page

室井尚著『情報宇宙論』より

第五章 「人間」を「編集」すること



1 情報の過剰空間

 今、ぼくは六畳ほどの広さの部屋に座っている。部屋の中には書棚や床に何千冊かの本が雑然と並んでいるが、それらは今のところそのエッジをぼくに向けたまま黙りこんでいる。部屋の中にはほかに誰もいない。音も聞こえない。
 しかし、実際にはこの空虚な空間は本当に空虚ではないのだ。そこには、無数の情報やメッセージが飛び交い、渦巻き、充満している。たとえば、それを聞き取ろうと思うのなら、ラジオのスイッチを入れて同調ダイヤルを回しさえすればいい。電波にのった過剰な情報の一部が――それがなんであれ――すぐに耳に飛び込んでくるだろう。また、テレビからは画像を引き出すことが出来るし、もし簡単な無線機をもっているならさまざまな電波を傍受することもできる。その気になればドイツのヴィデオ・アーティスト、インゴ・ギュンターがやったように軍事衛星から送られてくる地上の映像を傍受することだってできる。今や空虚な空間は情報で膨れ上がっているのだ。
 もちろん、膨れ上がっているというのは単に物質的な比喩にすぎない。それらは厚さや幅や延長を持たず、それでいて数え切れない情報を内蔵しているのである。これらの情報のすべてを受け取ることは一人の人間にはとてもできない。一日に飛び交うさまざまなチャンネルの情報を手にいれようとしても、何千回も人生を生き直すのでなければそんな時間は誰にも許されていない。さらに、本やヴィデオ・パッケージや、レコード、CDなどを入れれば、ぼくたちはとても消化しきれないほどの情報の大海に藻屑のように浮かんでいるだけだ、ということがよくわかる。大きな書店の中に入って、その書物の多さに吐き気を催したことはないだろうか。それは、自分の人生の何千倍もの時間を現前させている。それらを前にしてなお、自分を世界の中心に据えて、ものを見ることなどはとてもできそうにないではないか。
 もちろん、こうした情報を有効に利用するためのインデックスを作ることはできるだろう。たとえば、書籍やヴィデオのデータベースの構築とか、項目毎のノートを作り、自分の限定された仕事に役立つように相対的にアレンジすることはできる。だが、そのことによって本質的には何も変化するわけではない。情報のエントロピーは増大し続けるだけである。自分の「精神」が支配することのできない量の情報がただそこにある。自分を「同調」させれば、いつでもその情報にアクセスすることはできるが、すべてに同時に入り込むことはできない。そこで立ち尽くすことなく、この「精神」を守るためには、ただ「同調」しないように努めること、自分の身の回りにあるラジオやテレビを打ち壊すこと、相対的な量の違いはあっても情報を無視すること、それしかないのである。あるいは、「精神」のあり方を根底から考え直すことという選択が最後に残っているかもしれないが……。
 しかし、いずれにしてもこうした情報社会の中では、空間はもはや均質な広がりなどではない。情報論的な宇宙がぼくたちの身体を皮膜のように包み込んでいるのであり、むしろぼくたちの身体もそうした情報の波動へとつながるひとつの端末にすぎないのだ。もはやここでは、世界とは身体を通して知覚されるモノの体系のことではない。身体はひとつの同調装置にすぎず、モノもまた情報のひとつの様態以上の何物でもない。こうして「環境としての情報」はぼくたちの身体を溶解させる。
 さて、一例として芸術表現のことを考えてみよう。ここでもこうした状況は決定的な変化をもたらさざるをえないはずである。
 芸術家はモノの世界と向き合い、それを身体を通して別の形に変形する。それはまずもって「精神」の働きでなくてはならない。たとえば、視覚芸術を考えてみれば、それは眼を介して意識に与えられた写像を、さらに主体の精神を媒介として再現=表象する技術である。いわば、身体=精神のフィルターを介した「世界」の翻訳=解釈というのが、こうした表現のメカニズムであった。現前する事物の再現=表象(representation)という概念によって知られるこのようなメカニズムは、モノ及び身体によるその知覚、そして精神によるその制御という過程に支えられてきたわけだが、だとすると現在のメディア環境はこうした前提そのものの成立ちをきわめて困難にしていると言えるだろう。
 実際のところ、ディジタル・サンプリングや音声や画像の合成(シンセサイズ)といった新しい情報の加工技術は「芸術」と相性が悪い。もちろんCGアーティストと呼ばれる人たちはいる。しかし、このような人たちは、たとえばフラクタルやカオスなど、人々が見たことのないような形態を美的にアレンジしてみせるデザイナーにすぎない。最良の場合でも、それはフィルムやヴィデオなどの作品の素材にすぎないのである。その理由は簡単であって、こうした素材(?)に向かう主体はもはや対象との距離を確定できなくなり、その距離の不在の中でひとつの混然とした流れの中に飲み込まれてしまうからである。そして、正確に言ってそれらの素材は決して「もの」=対象ではないのだ。
 もちろん、芸術は純粋な再現=表象システムというよりも、啓蒙主義や近代市民社会以降の歴史、美学、批評、社会形態などと複雑に混じりあった複合システムであって、そう簡単に壊れることはないだろう。むしろ、芸術は常にその成立の可能性と不可能性との狭間で揺れてきたとさえ言える。しかし、それとは別に、現在のメディア環境の中では、その根幹の部分ですら全くその実質を欠いてしまっているという事実はやはり否定しがたいのである。
 それは、こうしたメディアが、従来なら限られた経路によってのみ可能だった、「情報としての世界」の処理/制御という過程を、複数化し、拡大したということに由来している。すなわち、芸術の再現=表象システムが危機を迎えるのは、それが不可能になったからではなく、むしろその過程が飛躍的に容易になり、また多くの別の経路が開かれたからにほかならないのである。
 たとえば、写真が絵画の危機を作りだしたとしても、それは写真が絵画の否定だったからではなく、ある意味では一五世紀以来の絵画の理想をいとも簡単に実現してしまったからであり、またそれまで絵画によって独占されていた表現を分散させたからではなかったろうか。そのことによって、絵画と結びつけられてきた再現=表象のメカニズムが相対化され、その根拠の不在が暴露されたということが、この危機の内容ではなかったろうか。
 そう考えてみると、現在のメディア環境は、情報の処理/制御/加工――あるいは、広い意味での「編集」――の可能性の爆発的な拡張という事態の延長線上にあるように思われる。そして、それは電子メディアの出現以前に一九世紀の複製技術が暗黙のうちにもたらしていた、新しい身体―世界の関係から継続しているのである。いわば、長い間ぼくたちが隠蔽してきた複製技術のおぞましい部分が百年後の電子情報技術の出現によって露わになってきているのだ。

    2 魔術の誕生

 写真術が発明されて約一五〇年になる。この一世紀半の間に、写真は人々の生活の中に広く深く浸透し、ぼくたちの視覚を決定的に支配し、またそればかりではなく世界と身体との関係を大きく変化させてきた。それは同時にレコードやテープなどのアナログ音響技術や、映画、テレビ、ヴィデオなどの映像技術と結びつくことによって新しいメディア環境を作り上げ、さらに現在のディジタルな電子メディアへとつながっている。  ここで写真術の発明と言われているのは、言うまでもなく一八三九年にフランス・アカデミーで発表されたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールのダゲレオタイプのことである。これは商品化され、世界中に普及した初期の画期的な写真機であった。ダゲールは画家であると同時に興業師であった。というと変に聞こえるかもしれないが、かれは一八世紀後半から都市で急速に普及したパノラマ館の風景画家だったのである。パノラマ館とは円形の建物の内側周囲の壁に遠近法を駆使して風景を描いたものであり、現実と見まごうばかりのイリュージョンを見せる光の劇場であった。ダゲールは、このパノラマにさらにさまざまな照明を重ねて臨場感を高めたジオラマを開発し、その過程で発明家ジョゼフ・ニセフォール・ニエプスと知り合ったのである。ニエプスは一八二六年頃にカメラ・オブスキュラの映像をアスファルト版に定着する技術を完成させていたが、未だ不完全なものであり、以後ダゲールと共同研究に従事するが、研究の完成を待たずに逝去している。ダゲールはこの技術を一八三七年に完成し、それが二年後に当時随一の科学者でもあり政治家でもあったパリ天文台長フランソワ・アルゴーによってアカデミーで発表されると、ダケレオタイプはセンセーショナルに世界中を席捲し、多くの人々が写真に殺到したのである。
 ところで、同じ頃もう一人の人物が写真術の研究を続けていた。カロタイプと呼ばれるネガ―ポジ反転方式の開発者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットである。タルボットは人文、自然科学者であり、自然の観察を目的としてこの「自然の鉛筆」を作りだしたのであった。かれは英国の自然を撮影し、湖や山などの風景の標本を四つ折版の写真集にして公刊している(一八四四)。カロタイプはダゲレオタイプほど有名にはならず、ネガ―ポジ反転方式が主流になるのは数十年先のことであるが、言うまでもなく、この複製可能性こそ、ぼくたちが現在写真の欠かすことのできない本質と考えているものである。
 さて、このような写真術の発明にまつわる事情を振り返ってみる時、ぼくたちは一種不思議な感情に捉らわれる。それは、一例を上げるなら、何か映画の誕生という物語にとてもよく似ているのだ。あるいは、エジソンの蓄音機やベルの電話の発明にもこれとよく似た事情があると言えるかもしれない。いずれにしても、そこには一九世紀のイメージや音響処理技術に関わった精神の共通性がきわめてよく現れているような気がするのである。
 まず、これらがいずれも全く新しい発明というよりも、従来の技術の組合せ、またはそれに何かをつけ加えただけの技術であるという事実がある。写真はたとえば古くからあるピンホール・カメラ(カメラ・オブスキュラ)の原理と感光剤との組合せから生まれた。カメラ・オブスキュラの原理は古代エジプトの魔術にも使われているし、文献に残っているものでも中世のイスラムに遡るほど古い技術である。また、ルネサンス以降フェルメールを初めとするさまざまな画家たちが絵画のための補助装置として用いていた事実も有名であり、レンズなどの光学技術の発達とともに、一八世紀末には画家達のための人気商品にまでなっている。とすると、一九世紀における「写真術」の発明とは、結局はその像を定着する手段の開発にすぎず、そのため同時に何人もの人々によって着手されており、ダゲールがそのレースに勝利をおさめたのも単なる幸運にすぎないのである。また、ジオラマの発明者であるダゲールは、「世界劇場」その後――即ち、イギリスの庭園芸術やピクチャレスク美学、オペラなどの「舞台演出術」の系譜にも属していると言えよう。それは、世界の視覚化という巨大な歴史的欲望が到達したひとつの新しい段階にすぎなかったのだ。
 映画の場合も全く同じことが言える。それは、写真術と幻灯術、そして運動の分割と再現の技術との合体であった。一八三〇年代のゾーイトロープやフェナキスティ・スコープなどを初めとする、目の残像現象を利用した視覚玩具にスペクタル性をもたせた、エミル・レイノーの「テアトル・オプティック」(一八八八)は、ループ状のフィルムをアーク燈で投影する巨大な装置による動く幻灯であった。また、エドワード・マイブリッジやエディエンヌ・ジュール・マレーによる分解写真やジョージ・イーストマンの巻き取り式フィルムに、ゾーイトロープ的技術を組み合わせたのがエジソンのキネトスコープであり、それが興業師によって九三年に公開されたのを見て、再び幻灯に結びつけたのがリュミエール兄弟によるシネマトグラフの完成(一八九五)にほかならない。
 このように、これらの発明に共通しているのは、それらがいずれも原理的にはそれほど画期的なものではなく、世界中の何人かが競合して研究を進めていた技術であることである。実際のところこれらは個々の技術の「モンタージュ」によって誕生したのだ。
 さらに、よく考えてみると、これらの発明の背後には常に「世界のスペクタクル化」という一八世紀後半以降の欲望が隠されていることもわかる。すなわち、自然のパノラマや、風景画、幻灯など、世界を一つの視点の下に集中的に支配、管理する「視覚の劇場」という観念がそこには共通して存在しているのである。このため、右のような技術は必ず興業師という存在と関わっていた。キネトスコープにしても、この発明を見捨てていたエジソン本人ではなく、興業会社(エジソン・カンパニー)が広めたのであり、リュミエール兄弟や、それを引き継いだ魔術師ジョルジュ・メリエスにしても、こうしたスペクタクル性と、そのようなスペクタクルに対する大衆の視線の欲望に支えられた存在であった。
 さらに、最後に重要なことが残されている。それは何かというと、ぼくたちの視点から言えば、これらのメディアはその出現時においては、その開発者においてさえも、つねにその技術の重大な本質がすっぽりと見落とされていたということである。言い換えれば、発明した本人やその同時代人がその発明品の意味を正しく見いだすことはなかったのだ。
 たとえばエジソンにとって、蓄音機はあくまでジャーナリズムや歴史記録のための補助技術であり、それを音楽に使おうなどとは真面目に考えていなかった。(第一エジソンは聴覚に欠陥があった)。実際に磁気録音が定着するまでの半世紀の間、レコードは音楽メディアの主流になったことはなかったのである(二〇年代までは自動ピアノの方が人気があった)。また、かれのキネトスコープは、この蓄音機の補助機械として開発されたのであり(つまりトーキー映画というよりも、映像付き蓄音機)、かれが途中で開発を中止したのもこのシンクロの技術がどうしても完成できなかったからである。さらに、リュミエール兄弟は、シネマトグラフは飽くまで科学的実験の器具であるという考えを捨てることができなかったし、ダゲールは写真の複製可能性という特質に無関心だった。また、映画を除いてこれらの技術は単なる記録手段という域に長い間留まっており、たとえば写真については一九二〇年代のフォトコラージュ、レコードについては戦後のテープ音楽まで、再生以外の形でこれらのメディアが使われることはほとんどなかったのである。
 このように考えてみると、これらのメディアは一八世紀=一九世紀なパラダイムの成熟と拡大の中で生まれ、同時にその終焉を準備していたいうことが言えるのではないだろうか。それらを生み出した人々は誰もそれらの技術の真の新しさにも、その使い方にも気づいていなかった。かれらはこれらの技術を通して、スペクタクルへの近代的意志を加速させ、自然の制御と支配(科学的探究)を目指したのである。しかし、実際にはこれらのメディアは、人間精神による自然の支配といったそうしたパラダイムを揺るがし、知覚の権力構造を根底から覆えすものであった。これらのメディアを考える上では、このような二重のあり方に細心の注意を払わなくてはならない。

3 氾濫する視線

 ところで、それでは写真や蓄音機、映画などのアナログ情報処理技術がもたらしたものは何だったのだろうか。それは、まずもって、従来の回路と異なる、しかも複数の形態で、世界を情報として編集、処理、加工することが可能になったということにつきるのではなかろうか。
 たとえば、写真は機械的に画像を処理することを可能にした。それは文字どおり目の代わりをする装置である。それは単に対象を別の形式に翻訳し、しかもオリジナルなモノのイリュージョンを作り出すという限りにおいては絵画と全く変わりない。それどころかそのイリュージョンは通常絵画の再現能力をはるかに上回るものである。写真は目を拡張する。同時に「目―網膜―意識(そして画家においては「手」)」という知覚=表象の過程そのものを外在化し、拡大するのだ。それはちょうど水晶体の代わりにレンズを、網膜の代わりに感光板を代置し、記憶の代わりに光によって変化した薬品のパターンを代置する。構図を決め、シャッターを押し、現像をする写真家は、ちょうど視線を動かし、イメージを受け取る主体の「精神」の位置にあることになる。だが、重要なことはその過程そのものにはあまり「精神」が充満していないという点なのだ。それは計量化されうる機械的な過程にすぎない。確かに優れた写真家による写真は「精神」の現前を多少なりとも感じさせてくれるかもしれないが、しかし、だからと言ってそれが必要不可欠というものでもない。基本的にそれは誰にでも、何の才能も努力もなく、イメージを制御し、産出することができる装置なのである。ボードレールが写真を非難したのもそのためであった。このように写真の出現は精神の不在、もしくは精神の死を含んでいる。そして、それは再現=表象というメカニズムを否定したからではなく、むしろそれを全面的に肯定し、外在化したからにほかならないのである。
 写真の登場まで、イメージの処理は絵画や彫刻などのミメーシスの技術によってなされるしかなかった。それは目を介して意識に投影される写像(イマーゴ)を、さらに精神を媒介として表象する技術であった。あるいは、世界の視覚像は、身体感覚を通して純粋に受動的に与えられる制御不能なものと考えられていた。そしてそれが絵画として再表象されるためには、精神の能動的な参与が不可欠のものと考えられてきた。こうして美の技術としてのミメーシスは、労働と対立する真に「自由な技術」(カント)として考えられてきたのである。
 写真は「精神」を表現の回路から追放し、それ以来映像はこの精神の不在とともに生きることになる。いわばそれは被写体と主体の両方を欠いた不在の輝きとなったのだ。さらに、そればかりではない。同時にそれは「内的な過程」と見なされていた知覚像の形成を外化し、主体という支点をもたない情報を氾濫させたのである。精神から切り離された視線がこうして無限に増殖することになる。こうして、映像の編集技術としての写真の誕生は、遠近法的空間の完成であると同時に、精神の遠近法をその根底から破壊するものでもあったのである。いわば、それは知覚の態勢や身体の遠近法を狂わす過剰な幻惑の魔法だったのだ。
 このような「複製技術」の本質をいち早く見抜き、不十分ながらも最初に理論化に着手したのがヴァルター・ベンヤミンにほかならない。ベンヤミンはソヴィエトのモンタージュ理論をアヴァンギャルド芸術と結びつけることによって、この新しい知覚と制作の原理とを提示した。「複製技術」が「複製」するのは、何かの表象やイメージではない。そうではなく、精神や身体から切り離された氾濫する視線そのものなのである。
 彼によれば複製技術の出現は未開社会から現在に至る芸術の歴史の中で唯一の重要な切断である。つまり、それは芸術を支えていたアウラを破壊し、唯一性と「いま/ここ」の充溢にもとづく物神化と神秘化を解体し、知覚の態勢を変えるのだ。それは自己の内部における何物かの表現や客観的世界の再現ではなく、操作(オペレーション)という過程によって世界の形態を変えるのである。操作=外科手術とはいわば連続する全体や過程をバラバラに寸断し、違った形でつなぎ合わせることである。それは、知覚の枠組みとしての時間や空間を、そして知覚や経験の回路そのものを「編集」することなのだ。
 言い換えれば五感による知覚と経験の受動―能動的な内的関係を外在化し、それを別の形で書き換えることの可能性が、こうした技術とともに生まれたのであり、そのことによって作品は世界や自我の鏡ではなく、思考=認識の操作平面になったのである。とは言っても「五感」が不用になったわけではない、そうではなくそれは編集可能なインターフェースのひとつと考えられるようになったのだ。
 アヴァンギャルド芸術の最良の部分はこうした「世界の編集可能性」に基づいている。それは意識や世界のあり方に対するぼくたちの認識の根本的な転換を要求するラディカルな問いかけであった。ここではグリーンバーグ流の「形式主義的な」アヴァンギャルド観などは無意味となる。なぜなら、そこでは単に空間的な形態だけではなく、「意識の統語法」それ自体が「編集」の対象になっているからだ。そして、それは単に技術や芸術だけではなく、ぼくたちの世界認識自体に関わる活動性だったのである。言うまでもなく、この場合の「編集」は、主体である誰かが自らの遠近法に基づいて対象を支配するために配置することを意味しているのではない。そうではなく、シュールレアリズムの自動筆記やフロッタージュがそうであったように、配置を変えることによってその度毎に新しい世界との関係を生成していくような活動性が問題なのである。

      4 編集性の拡大

  写真や蓄音機は、映画やテープ・レコーディングに、そしてテレヴィジョンやヴィデオに姿を変え、さらにディジタル情報処理技術とともにCGやホログラフィ、電子音楽に進化しつつある。これらの一連のメディアの変遷を考えたとき、二つの方向がはっきりと見えてくるだろう。それはまず第一に言うまでもなく画像や音響、さらには情報一般の処理/制御可能性の大幅な拡大であり、もう一つはその個人化と拡散である。一九二〇年代以降カメラはパーソナルな機械となり、60年代以降になるとテープレコーダ、八ミリカメラ、ヴィデオ・カメラ、コンピュータなどが大衆のレベルに普及するようになった。これは汽車などの大量輸送からマイカー社会へという交通機関の進歩と同じか、それ以上の大きな変化を社会にもたらしている。
 情報のディジタル処理技術の出現は編集性のレベルを確実に押し上げた。原理的はあらゆる感覚情報をディジタル信号化することが考えられるまでになった。ディジタル情報化のメリットはもちろんただ単にノイズの排除による再生能力の強化にとどまるものではない。そうではなく、それはよりモノに依存することの少ない純粋な情報という概念を現実化したのである。CDやプログラムなどの持っている情報はバイナリーコードであり、それ自身は劣化したり、摩耗したりすることない。また、その情報はメディアを選ばないので、別のメディアに移したり、電話線でやりとりすることなども容易である。
 なによりも、関数を変えるだけで簡単に情報を書き換えることができるメリットは大きい。たとえば交響曲のバイオリンのパートをトランペットに変えたり、消したりすることはきわめて簡単にできるようになった。こうした特性は、すべての感覚データに関して言えるわけだから、三次元画像やホロフォニック・サウンド・システムにおける音環境全体などを自由に編集できるわけである。また、あまり精密なものではないが、直接神経細胞を刺激して一定の感覚情報を脳に直接送り込む装置も存在している。つまり、モノからの刺激を受動的に受け取るだけだった身体を外化して、世界に関する感覚情報を自由にシミュレートし、変容させ、編集することができるようになってきたのだ。
 こうして「モノ=物質」と「精神」との二元論的な世界観はその前提を奪われることになる。また、モノの位置や状態の変化に結びついていた時間や空間に関してももっと多元的な捉え方が必要になってくる。情報空間には過去や未来は存在しない。データはいつでも既にそこにあって、即座にディスプレーに表示することができるし、いつでも別のデータに一瞬でアクセスすることができる。モノであれば、それがそこにあるだけで時間の痕跡は否応なく刻み込まれるが、純粋な情報には常に現在形があるだけである。主体とモノとを時間的な配置によって結びつける物語(モノ=語り)的な時間秩序は、ここでは重層的な現在の広がりに取って代わられるのである。あるいは、そこでは「時間」そのものが編集されることにさえなるのだ。
 こうした情報のディジタル処理を象徴するものが、言うまでもなくコンピュータにほかならない。コンピュータは単に狭い意味での計算をする機械ではなく、二進法のコードを読み取り、変換する処理装置をもつすべての機械のことであり、言うまでもなくワープロも、オーディオ装置を初めとして、家庭に溢れる電気器具の多くもコンピュータなのである。かつて、コンピュータは巨大な装置であり、スタンリー・キューブリックの「二〇〇一年宇宙の旅」に出てくるHAL九〇〇〇というスーパーコンピュータのように、すべてを集中管理し、人間をも支配するエレクトリック・マザーといったイメージで考えられていたが、実際に八〇年代に実現したコンピュータ社会とはパソコンやワープロを初めとする無数のコンピュータがネットワーク状に連なる社会であった。こうして身近なものとなったコンピュータによって、ぼくたちは情報とその自由な編集可能性を「現実」として生きるようになっている。
 ところで、こうした編集可能性の拡大は、同時に主体の精神から切り離された過剰な情報の氾濫として捉えることができるのは先に見た通りである。それは近代の認識論的な世界観を揺るがし、意識と世界の結びつきに対して一七世紀以来の哲学の根本的な見直しを要求することになるだろう。
 問題はただ単に新しい技術の出現による社会システムの変容にとどまるものではない。そうではなく、「読まれるべき書物としての世界」とか、あるいは「時間―空間という固定された舞台で演じられるモノの劇場としての世界とその観客としての意識」といった構図そのものを根本から書き換えることなのである。世界はぼくたちの意識をもその対象に含みこむ巨大な情報システムなのだ。そして、それは必ずしも未知のコスモロジーではなく、近代が否定してきた古代や中世の宇宙観とも重なり合うようなものであるかもしれない。物質とそれに基づく宇宙観に対して「情報の宇宙」という新しいヴィジョンが開かれなくてはならないのである。
 さて、精神=物質をめぐる近代の世界像はこうして「情報とそのインターフェース」という一元的な宇宙の中でそれ自体が編集可能なものとなる。そこで重要なのは、精神の放棄、あるいはその限定された形での防衛などではなく、むしろ精神の編集性を逆手にとった新しい精神の形態の構築とでも呼ぶべき方向ではないだろうか。実際のところ、近代哲学によって身体や客観世界と分断されてきた精神は、今世紀の現象学などによって、むしろ身体や言語との一体性を強調されるようになってきている。だとすれば、精神あるいは意識を特定の場所に限定することなく、一般的に情報の交換と制御の過程の中に位置づけることができるのではないだろうか。つまり、ある意味では精神の外化とその編集可能性という認識は、精神の自由な形態=構造をさまざまな場所に作り出すことができる可能性をもっているのである。身体や脳がひとつの情報端末にすぎないというのはむしろ希望に反転しうる認識であるのかもしれない。なぜならそれは無数のチャンネルを開くことができる、開かれた集積回路であることを意味するからだ。
 新しいコスモロジーや身体論の構築は哲学に与えられた任務であるが、こうした情報的宇宙の中での新しい精神の形態を構築するのは「芸術」の役割である。それは人間の意識と情報の新しい結びつき=言い換えれば新しい精神の形態を「編集」し、デザインするような技術とならなくてはならない。そしてそれは決して特異な行為ではない。むしろ、ある意味では一九世紀後半以降の――したがって「複製技術」以降の――芸術が、芸術という近代的なカテゴリーが不可能となってしまうようなぎりぎりのところでずっと展開してきたのは、まさしくそのような別な意識の存立の可能性の探究でもあったのである。

 

 

見出しに戻る

bottom of page