Since February 19th, 1996
室井尚著『情報宇宙論』より
第四章 都市と身体の変容
「私たちが技術を機具として見做しているかぎり、いつまでも私たちはそれを御せんとする意志にかまけているにすぎない。私たちは技術の成存のわきを素通りするだけである」(M・ハイデッガー「技術への問い」より)(1)。
1 都市と交通のシステム
もし、文化を情報の組織化の問題として語れるとしたら、「都市」とはその根幹に関わる場所=概念であるはずだ。この本の中で語られている文化論も、都市文明、そして都市のネットワークによって作り出される文明を前提としている。都市の空間においてこそ、文化の底で動いている巨大な流れを生き生きと感じとることができるのだ。だが、だからと言って、田舎や地方、そして未だ近代化の過程にある国々は全く問題にならないというのではない。そうではなく、現在の世界についての言説や身体の政治学を支配しているのは、まさしく都市を中核とする文明の形態だということを確認しているにすぎない。だから、加速度的に進行している距離の近接化、情報の過密化の中で、これらの差異のすべてが消去され、すべてが都市に吸収され、均質化されているというなら、それは正しくない。むしろ、ぼくたちの文明はこの種の差異を差異化させ、還元不能の地域格差を産出することによってエネルギーを得ていると言ってもいいのである。
ところで、しばらく前から「東京」論が盛んである。これは、日本が国際的な経済の中心となってきたことに関係があるだろうが、もう一つはポストモダン都市としての東京が新しい都市概念を示唆する記号として注目されてきたということだろうと思う。こうした議論はバルトが「表徴の帝国」で提示した(「空虚な中心」をもつきわめて特殊な都市としての東京という)視点をきっかけとして、江戸の特殊な都市空間の持っている記号学的意味の分析や、土地のもつ神話的な力の分析を進め、同時に消費社会を代表する様々なトレンディな記号で満ちたスポットの紹介や分析をしてきた。
だが、関西に住むぼくなどから見ると、これらの議論の多くは抽象的なものに思えて仕方がない。というより、それらの議論が取っている歴史的、地勢学的、記号学的な視点が余りにも「具体的」すぎて、かえって抽象的に見えるのである。「東京」は、少なくともぼくには明確な輪郭を持ち、連続した全体としての生きられた空間などではない。こういう視点から見ると、これまで語られてきた「東京」論は、すべてぼくたちの感じている「東京」とは無縁のもののように思えるのである。
言うまでもなく、「東京」が問題となる場合、それが単なるひとつの都市であるばかりではなく日本の「首都」――つまり、一国の政治的、文化的中心であるという視点を切り離すことはできないだろう。すなわち、それは「地方」と対立し、「地方」を支配する「中心」として考えられる。したがって、それは「地方」がつねに顔をそこへ向けていなくてはならない情報の発信源であり、それと同時にすべての情報が一度はそこに送り届けられなくてはならない集配センターでなくてはならない。すべての情報や言説、物はそこに集められ、そこで再配分され、地方へと配給されることになる。このように考えると「東京」とは何よりも情報の流通システムにおける「中心」として――すなわち超コード化が行なわれる力の場として――情報の政治学の中でのみ捉えられるべき記号であることになるだろう。
すなわち、それはまず何よりもモノや情報の「交通」の問題として語られるべき事柄であるように思われるのである。たとえばそれは、東京駅や日本橋を起点とする交通システムを指していると同時にあらゆる言説、情報、イメージ、文化の交通システムの中心にあるのだ。このシステムは基本的にはトゥリー状のヒエラルキーをもったシステムであり、更に下位の大都市、中都市、小都市などの階層の存在によって支えられていることは言うまでもない。
ところで、首都の役割がこのような人間や物資、そしてあらゆる種類の情報の管理(交通整理)センターにあるとしたら、そしてそもそもこうした交通こそが都市を成立させたものであるとしたら、都市の変貌とは、そのような交通の様態の変貌でなくてはなるまい。言い換えれば町並みや都市空間の物理的な変容は、そうした情報空間の変容があってこそ初めて可能になるものではないだろうか。また、こうした視点を取ってこそ、それらの変化の意味を捉えることが初めて可能になるのではないだろうか。都市の変貌は情報やモノの交通を支えるこうしたメディア環境の変貌と密接に関係しているにちがいない。
そもそも都市の誕生は、まず何よりも人間と物資の「交通」に関わるものであった。そこでは情報の流通が主に人間の移動によって支えられていた。そして、メッセージをその発信者から切り離して「モノ」の形で持ち運ぶことの出来る文字言語という新しいメディアの出現が、それらの情報の流通範囲を広げ、広い範囲の支配を可能にした。ムラから都市の間にはこうした情報の「交通」形態の本質的な変化が横たわってたはずである。また、人間の移動する早さを飛躍的に高めた馬の存在も広い版図をもつ国家の成立にとって重要な要素であったことは言うまでもない。同じようにまた、近代における都市の変貌も、革命的な交通手段や複製技術の出現によって人間や物資の流通が加速され、急速に拡大したことから始まったのである。
都市への急速な人口集中現象は、人間や物資の流通の拡大、そして印刷術以降の情報の流通の拡大、さらには蒸気機関車などの交通手段による人間の流通の拡大によって完成される。もちろん、それはただ単に道路の整備や汽車の出現が作りだしたものではない。むしろ、逆に人間の流入が始まってからそうした技術が整備されたということも考えられるだろう。だが、ここではそうした単純な因果関係は問題ではないのだ。重要なことはどちらが先にしても、要するに流通の、交通の形態の変貌がつねに社会の変化と密接に関わっており、またそれらが少なくとも新しい技術やメディアの出現と同時的であるということなのだ。あるいは控えめに言っても、後者なしではそれらの変貌は可能ではなかったということだけは確かであろう。
そして更に一九世紀には写真やレコードなどといった複製技術が生み出され、今世紀における大衆社会への動きの中で、音やイメージの流通が大幅に拡大されることになる。この第二の流通革命において、大量に作られる工業製品や写真、レコード、映画、新聞、雑誌などはモノの大量消費を作り出し、モノの流通管理センターとしての都市をどんどん拡大して行った。そしてまた都市とは、これらのモノや情報の密度の濃い空間であると同時に、それらが絶え間なく流入し、一定の分配システムに従って配分されていく媒介の場所であったと言えるだろう。
現在までの大都市の形態とは概ね右のようなメディア環境において形作られてきたものであった。ここでの基本的な交通のあり方は物資と人間の輸送にもとづいたそれである。そして、ぼくたちはこの百年の間にその交通を飛躍的に発展させてきたのだ。この発展はふたつの方向をもっている。つまり、第一にそれはスピードの面における発展であり、もう一つはそれが個人的なレベルにまで普及したことから来る多様化である。
スピードの発達に関しては多言を要さないであろう。馬のスピードが時速約三〇キロだったとすると、ぼくたちは現在すでにその何十倍、あるいは何百倍のスピードを獲得している。地上における自動車の速度や長距離の移動における飛行機の速度は、空間を輸送時間で計測するような新しい空間意識を作り上げてきた。つまり、空間はそこに行くのにどれだけかかるという時間によって分節されることになるのだ。距離の意識はここでは既に身体的な尺度を離れている。車で何分、電車で何分、飛行機で何時間というのが距離の尺度となり、世界はこのような空間意識によって分節されるようになった。たとえば、現在の都市空間は地下鉄や電車の路線図や道路地図によって分節されている。
そして、それはそうした交通機関が個人のレベルでも自由に利用できるということによってさらに社会の中に浸透してきたのである。マイカーというパーソナルな交通機関の普及が、まさしくこのような空間意識を完成させたのだ。また、こうしたパーソナル化は情報の交通の面においても進んでいる。家庭用ヴィデオの普及やCDの普及はイメージや音のパーソナルなパッケージ化をもたらした。あるいはウォークマンの出現はパーソナルでしかも移動可能の音環境を作りだした。このようなモノと人の移動の加速と稠密化、膨大な情報の分配と集積、そして何よりもパーソナル化によるそれらの移動の形態の複雑化、多様化のすべてが現代の大都市の姿を作り上げているのである。
2 移動から転移へ
しかしながら、このことは交通の量と速度を大幅に拡大したにせよ、情報の本質的なありかたまでは変えるものではなかった。言い換えればそれらは基本的にはモノの流通の量的な拡大をもたらしただけだったのである。確かにこうしたスピードアップやパーソナル化によって、情報の密度は増し、それにより都市の環境は大きく変わってきている。だがしかし、これらは結局のところすべて「モノの移動」という従来のパラダイムを越え出るものではなかったのである。言い換えれば、それは資本主義の怪物的なエネルギーに駆り立てられた従来の交通システムの拡大であり多様化であり加速ではあったが、根本的には同じメディアのポリティクスに従っているものだったのだ。ただ、そのポリティクスがより巨大であると同時にミクロに、またより複雑になっただけのことなのである。
だが、ここにはすでに第三の流通革命とも言うべきもう一つの別の変化がすでに起こってきているのだ。
それはすでに、情報のディジタル化とファックスやパーソナル・コンピュータによるデータ通信の普及によって始まりつつある変化である。こうしたディジタルで電子的なメディアのネットワークこそが、現在の都市環境を決定的に過去のそれから分かつものであるように思える。言い換えればここでは情報はモノの形を取ることなく電気的信号によって自由にいわばウィルスのように「転移」することができるようになっているのだ。大げさに言えば、ここでは「移動」から「転移」へ、と言う情報の交通における一大変化が起こりつつあるのである。
電気的信号による情報の伝達システム自体はもちろん電信の時代からあった。また、そのパーソナル化ということなら電話やラジオがあったし、総合的なイメージの伝達ということならテレビがあった。しかし、これらは右に述べたような変化の必要条件ではあってもそれら自体は決定的な変化をもたらすものではなかったのである。なぜなら、まず第一にそれらが扱うことのできた情報の質に関わることであるが、電信や電話は扱える情報の種類がきわめて限られていた。すなわち、それらは音声言語やきわめて簡単なコードの送受信を行なうだけであって、しかもそれは一対一のコミュニケーションとして閉じたものであった。また、第二に、確かにラジオやテレビはこの限界を越えて複数の人々とのコミュニケーションを可能にすると共に、とりわけテレビにおいては音声と視覚的なイメージを総合的に伝えることができるようになったが、それは少数の発信者から不特定多数の視聴者へという単一方向的なコミュニケーションにすぎなかった。つまりは新聞と同じ様なマス・コミにすぎなかったのである。そのため、ここでは首都や大都市に置かれたテレビ局から情報が一方的に分配されるという交通の基本的なシステムはなんら変化することはなかった。このことは、たとえば自由ラジオのようなマイナーなシステムにおいても変わりない。それは一定区域に於ける人間の密度を必要とする。なぜなら、半径数キロメートルの区域に誰も住んでいないような場所ではこうした試みは意味を失うからだ。また、これらの信号はアナログ情報の形で送られる限り、移送やコピーに伴う品質の劣化やノイズの混入は避けられないものであった。
ところがファックス、あるいはパソコンによるデータ通信においては事態は全く違って来る。そこでは、文字やイメージや音楽などのあらゆる情報がディジタル信号に変換され、有線/無線によって送受信されることが可能となる。原理的にはその機能が極めて限定された端末コンピュータであるファックスを用いるこ とで、どこでも書類を作成して、電話(や無線)を通して会社や学校へリアルタイムで送ることができるようになった。これらは現在のところ未だにアナログ回線の上に載せられたディジタル信号のパケット(パッケージのようなもの)の形で転送されることが多いが、すでに一部で実現されているディジタル回線網(ISDNなど)の普及によりさらに高速で安定した通信が行なわれるようになるだろう。そして、そこではリアルタイムで音楽や映像が送れるようになるのである。これは言い換えればCDの音楽やヴィデオ・ソフトがオンラインでリアルタイムにやりとりができるようになることを意味している。
つまり、いながらにしてあらゆる情報を瞬時に、しかもオリジナルと全く同じ品質でやりとりできるというのが、この新しいメディア環境なのである。遺伝子コードに関する分子生物学の知識や、すべてを0/1のバイナリー・コードに変換して高速に処理するコンピュータの出現はこうして情報に関するぼくたちの考え方を大きく変化させたのだ。
ここでは人がどこに居ようが問題にならない。かれはもはや移動する必要がないのである。また、情報は瞬時に、しかも大量に別な場所に送ることができる。つまり、そこではもはや「移動」という情報を支えていた形式は用無しになるのだ。
しかも、ここでは情報の流れは可逆的で多方向的なものとなる。言い換えればそこでは情報はヒエラルキー的なシステムに媒介されることなく直接的に複数のチャンネルへとつながることができるのである。また、「転移」した情報は、生体システムに入り込んだウィルスが自己自身を周囲に適応させて姿を変えていくように、複数のポイントで保存され、加工され、編集されて、それ自身を複数化していくことができるだろう。
人はここではただ端末の前に座ってスイッチをいれるだけでいい。あるいはリモコンで端末のモードを変えるだけで十分なのである。そこから直接コミュニケーションの回路が開ける。アメリカでは、リモコンをいつも握りしめてしょっちゅうチャンネルやスイッチを切り替えている人を「ザッパー」と呼んでいるが、こうして「ザッピング」するだけであらゆる情報を得ることができると同時に、それを好きなように加工し、あらゆる情報を送り出すこともできるようになるのである。これは全く新しい形のコミュニケーションの形態だと言ってもいいだろう。
ここでは情報の「移動」を支えていた身体や物質的な交通機関はその意味を大きく変えることになる。だが、それは一般に言われているように「不用になる」わけではない。そうではなく、こうしたネットワークにおけるコミュニケーションを補助する副次的な役割へと退くのである。
一方において、それはますます情報の「転移」に近づいていくだろう。航空ネットワークはもとより、たとえば現在、山梨県に実験線が作られているリニアモーターカーのシステムでは、車両は磁気によって浮きあがった状態で、時速500キロで東京―大阪を約一時間で結ぶことが計画されている。U字型の側溝の中を走り、窓からのパノラマ的な景色を見ることも制限されたこの輸送システムにおいては、人間はまさしく電線の中を流れる電子の粒のような存在となるのである。つまり人間の往来そのものがまるで物質電送のようになりつつあるのだ。その意味で、リニアモーターカーは距離をノンリニア(非線的)なものに変えると言うことができるだろう。
また、他方においてそうした輸送手段や身体は、複雑なアナログ的処理を一手に受け持つことになるだろう。いわば、それは時間化された遊園地のように、システムの欠如を埋める余剰を蕩尽する場所となるのだ。いずれにしても、ここで身体やその移動を統御しているのは、ディジタルな時間/空間の分割システムの側なのであり、けっしてその逆ではないのである。
そして、現在の東京の変貌はこのような電子的ネットワークが作り出す情報空間に大きく関わっているのだ。言い換えれば、ファックスやテレックスによる電子的情報が大量にかつ高速に飛び交うネットワークのトポロジカルな空間こそが現在の「東京」なのである。すなわち、それは一定の地理的空間に固定された物質的な都市ではない。そうではなく、それはこの世界中を覆い尽くしているネットワーク上に位置する不可視の情報空間なのだ。それは大地につながる共同体でもなければ、脱領域化されたメタ共同体でもなく、「電脳」ネットワークの網の目を転移し、振動するパラ共同体的な空間なのである。あるいは「都市」とはそのようなネットワークに支えられた情報の密度と強度の偏差によって作り上げられた電脳空間なのである。ここでは都市は人間の共同体が作り出す祝祭空間でもなければ、故郷喪失者がより集まる「雑踏」の空間でもない。
そして都市はまさしくこうした空間に基づいて物理的な空間を分節する。そこでは、都市はネットワーク・メディアの論理に従って、郊外の住宅地や娯楽センター地域やファッショナブルな区域などを作り出すことになる。これらの地域はその固有で内在的な論理に従って成立するのではなく、メディアが振り当てるイメージのシミュレーションとして作られるのだ。その意味でたとえば「六本木」とはメディアの生み出したシミュラークルにほかならない。そこから「はみだした」部分こそが都市だというような言い方はそこでは根拠を失うだろう。なぜならメディアが消費するのはつねにそのような「剰余」でもあるからである。
3 トゥリーからネットワークへ
このような視点から見た場合、情報の交通における都市とは巨大な情報バンクのようなものとして語ることができるだろう。だが、この情報バンクはけっしてそこからすべての情報が引き出せる単一の巨大情報センターのようなものではないし、またそうあってはなるまい。実際にはそれは無数の端末をもつ複数のホストのネットワークであり、またそれぞれのホストはまたお互いに結びついたり離れたりすると同時に、端末とホストとが可逆的に入れ替わることができるような、動的で変動する情報空間なのである。また、さらにそれはさまざまなレベルの情報やモノとの密接に関係しあっている。
そして、こうした状況においては情報の分配形式も大きく変わってこざるをえない。それは端的に言ってトゥリー状のヒエラルキーに従った配分のシステムから、異なるレベル、異なる階層が相互に段階や領域を越えて結びつくハイブリッドでリゾーム的な交通への移行と言うことができるだろう。
そして、たとえば、そこでは従来トゥリー型のシステムにおいて一方向的に配分されてきた情報の形態の変容が見られることになる。そのことを卑近な例によって示しておきたい。
たとえば映画を例にとって考えてみよう。映画は中央から地方へと「配給」されるタイプの文化であった。言い換えればそれは明確なひとつの分配システムを持っていた。過去に形成された一番館、二番館等などの名称こそなくなったけれども、少なくとも地方都市のレベルまでは比較的しっかりした映画館のトゥリー状のシステムが組まれており、上から下へ、中央から地方へというシステムが正常に機能していたように思われる。
ところが、しばらく前から東京で評判になった映画が関西の劇場に「来る」ことを関西に住むぼくたちは全く期待しないようになった。かつて映画が今ほど衰退しておらず、映画館の数が十分であった時は言うまでもなく、七〇年代から八〇年代にかけて、大阪に住んでいれば、相当マイナーなものも含めて、少し時期遅れになることを除けば、ほとんどの話題作を観ることが可能だった。ところが、この四,五年の間に急速にそれが全く不可能なことになってきた。雑誌などで話題の作品を関西で観るためには半年から一年の間待つことが必要となり、場合によっては何年待とうと観ることができなくなったのである。もちろん、このことには理由があるだろう。
ひとつには公開される映画の本数が一挙に増えたということである。このことは必ずしも映画産業が復活したということを意味するものではあるまい。だが、映画雑誌や情報誌で紹介されるフィルムの本数は明らかに増えてきている。また週刊誌や新聞などでこうしたフィルムが紹介される機会も増えてきた。以前なら公開が見送られたであろう第三世界のフィルムやヨーロッパの地味な作品も上映されている。そして何といっても特筆すべきことはどんどん減る一方であった映画館の数が再び増え始めたということであろう。但しこれらすべては東京だけの話であることを忘れてはならない。要するに地方ではそれだけ多くの作品を公開する場所が無い。これがひとつの単純な理由である。
だが、それなら地方でも映画館の数を増やせばいいと言われるかもしれない。だが、ことはそう簡単ではないのだ。たとえば関西では大阪を除けばすでに日本映画でさえ必要な数のロードショー映画館を欠いている。最近のようにテレビ局や外部のプロダクション制作のフィルムがロードショーのラインナップに入るようになると、配給会社はそのいくつかを名画座や裏街の映画館に回す以外なくなっているのである。京都などではこうした事情で吉田喜重の「嵐が丘」、大友克洋の「AKIRA」などのフィルムは新京極にある戦後の香りを残す名画座で「特別」ロードショー公開されたのであった。もちろん普通の地方都市ではこれすら可能ではない。多くの町で上映されるのは「敦煌」や「優駿」といった観客動員数があらかじめ見込めるもの(あるいは莫大な宣伝費を回収する必要があるもの)に限られていたのである。ところで、「AKIRA」のような「CGを多用した近未来感覚のSF映画」を盛り場にある薄汚れた固い椅子の映画館で観るというのはある人々にとっては確かにかなり面白い体験であるとは思うが、少なくとも「トレンディ」な体験とは言えないであろう。
実際の所地方都市で一番の問題は、たとえ話題となったフィルムでも、観客がそれほど入らないことである。地方の人々は既に映画館を見捨てていると言ってもいい。そして、映画館でフィルムを見るより、観客はそれがヴィデオ化されるのを待つことを選ぶのだ。なぜなら、その方がよりファッショナブルなライフスタイルのイメージに一致するからである。六本木のシネ・ヴィヴァンのレイトショーを見ることと、梅田の三番街シネマでオールナイトを見ることとは全く違った経験であって、ほとんど相反するライフスタイルを意味しているのである。
こうして、映画はすでに死んでいたという意外な事実にぼくたちは直面する。実際のところ、このことは既にディズニーランドでしか見られないマイケル・ジャクソンの3D映画が公開された時に顕在化していたことなのだ。その場所でしか見られない映画――もはや、それは映画ではない。光で描かれたイベントであって、演劇のように固定された時空の中の一回限りの出来事にほかならない。そして、今や「映画」を見るためには「東京」に行かなくてはならないのだ。ちょうどディズニーランドに映画を見に行くように、映画は東京の劇場でしかやっていないのである。
最近ヴィム・ヴェンダースの映画が日比谷の映画館で単一館ロードショーの記録を打ち立てるという出来事があった。しかし、このことは映画の死を訃げるものでしかない。なぜなら、もしこの映画が従来の配給システムで複数の館で上映されたなら、これほど話題にならなかったことは明らかだからである。たとえば、それが大阪の映画館で上映されたところで、客はそれほど集まらない。なぜなら、大阪の古い名画座でTシャツにゴム草履の観客の中でそれを見るという体験は、日比谷のファッションビルにあるスノッブな映画館での鑑賞体験と根本的に違うからだ。
映画は死に絶え、それはヴィデオに取って替わられるようになった。それは、よく誤解して言われるように「地方と東京の差がますます広がった」というのとは根本的に違うことのように思われる。そうではなく、ヴィデオのレンタル・ショップの巨大なネットワークの中に映画館のトゥリー状システムが侵食されているのだ。ここでは映画館は比較的人口(アクセス数)の多い場所にのみ設置されるイベント・ホールと化しているのであって、それが可能なのはヴィデオや都市情報メディアのネットワークのポリティクスが存在する限りにおいてなのである。よく、口実として使われるフィルムとヴィデオの体験の質的な違いという物語もここでは問題とならない。なぜなら、すでに「劇場での映画鑑賞」という体験自体がシミュレーションにほかならないからである。そして、このような文化の領域における変容は今後の技術的発展に伴ってさらに拡大して行くだろう。たとえばテレビ電話、電子出版、ディジタル・カメラ、巨大データベース、家庭用光ケーブルなどの出現や通信衛星によるネットワークの拡大は書物や画像の流通の形態を大きく変えていくであろうことが予想される。問題は、それら個々の情報の物質的形態の変化ではない。それらの交通の変化が文化全体を変えるのだ。
こうして今や情報の交通空間は端末を通してつながれたネットワークへとぼくたちの身体環境を取り込みはじめている。こうした身体の変容においてぼくたちの空間意識は変わりつつあるのである。
但し、ここで気をつけたいのは、先に述べたようなザッピングやマルチ情報端末の普及が現実との接触を欠いた偏ったカプセル人間を作り上げるといった危険性を過度に強調して語るタイプの言説である。これらの危険性は過渡的な問題としては確かに存在することは認めざるをえないが、重要なのは「身体的な接触による生き生きとしたコミュニケーション」と「身体性を欠いた病的で失語症的なカプセル人間」というような対立が虚構にすぎないと言うことだろう。すなわち、そうした対立は情報の流れがまだ固定されていた過渡的状況においてのみ意味をもちえたものにすぎず、一旦このようなマルチメディア的なコミュニケーションの空間が開かれた後にはほとんど無意味となるような対立にすぎない。実際のところ、こうしたマルチチャンネル・ネットワークを通したコミュニケーションはまさしく身体的なコミュニケーションであり、強固なリアリティをもつものである。我々は車を運転する時に車を身体の延長と感じるのと同じようにネットワークを飛び回るディジタル信号をぼくたちの身体の延長と感じるようになるが、しかしだからと言ってもはや歩くことができなくなるわけではない。ただ、身体と世界との関わり方の構造が変わるだけのことなのだ。つまり、マルチチャンネル化していくのは身体それ自体でもあるのである。
おなじように、こうしたネットワークを固定的に捉えてはなるまい。それはすぐに固定したヒエラルキーへと変容していくからである。むしろ、そこではとどまることのない絶えざるネットワークの過程が――すなわち「ネットワーキング」の運動が捉えられなくてはならない。言い換えれば、あらかじめ指定された回路でしか動かない情報の交通の固定化、制度化を切り裂く複数で差異にみちたネットワーキングこそが新しい人間の空間を作りだしているのであり、ぼくたちが目を向け、救い出して行かなければならない問題もそこにあるのである。
こうした変貌の中でぼくたちの身体を通した他者との関係や「わたし」のありかたがどのように変わっていくのか、それが今後ぼくたちの探っていかなくてはならない最も重要な課題であるように思われる。
注
(1) M・ハイデッガー『技術論』(小島威彦、アルムブルスター訳、理想社)五七頁。