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新曜社刊、室井尚+吉岡洋著

   『ワードマップ・情報と生命-脳・コンピュータ・宇宙』より

 

情報という視点



 あなたは暗闇の中にいる。ブーンブーンというかすかな音があなたの周囲で聞こえている。その音はあなたの身体の周りを不規則に動いているようだ。時折、その音は急に止まったかと思うと、少ししてまた始まる。あなたの首筋から鎖骨の辺りにかけて液体がへばりついているのが感じられる。液体は額の辺りにもあり、雫となって滴り落ちている。かゆくてとても気持ちがわるい。あのブーンブーンという音はあなたの首筋に近づき静止する。あなたは首筋に何か小さなものが触っているのを感じている。反射的にあなたの手が首筋に行き、あなたの手の平と首筋の皮膚とが一瞬の間音を立てて接触する。ブーンブーンというあの音は消える……。

   あるいは……

 部屋の中にあなたは居る。他には誰もいない。耳障りな周波数の音がする。あなたは手を伸ばして二十センチ四方ぐらいの大きさをしたグレーの箱に触る。箱の一部は、螺旋状のひもで結ばれた二十センチくらいの長さの取っ手になっていて、それだけを切り離して手に持つことができる。あなたはその取っ手を握って、右耳にその一端を当て、他の一端を口元にもってくる。あなたの耳許でかすかな音声がしている。それは音声による信号らしい。あなたはそのコードを解読して、それに対応する思考をコード化しながら、声帯を用いて出力する。出力されたコードは口元の装置からひもとグレーの箱を通して相手に伝えられる。いくつかのメッセージ交換がなされ、あなたは送信終了の信号を出力して、その装置を元の位置に戻す。他には誰もいない。また耳障りな周波数の音が始まる……。

経験とは何だろう。それは理論とどのように結びつくのだろう。経験は具体的で特殊なものの知覚に関わり、理論は一般性や普遍性に向かうと言われる。だが具体的なものの知覚とは何だろうか?
 右の二つの文章は、ごく日常的な経験を記述したものである。最初のものは首筋に止まった蚊をあなたが手の平で叩き殺すという経験、次のものは電話がかかってくるという経験を描いている。まるでヌーボーロマンの下手なパロディのような文章ではあるが、ぼくたちが体験する具体的で特殊な経験をできるだけ即物的に描写しようとしたものである。


 こうした描写はぼくたちを不安にする。なぜならば、それは日常的な知覚や経験からかけ離れているからだ。ここで話題になっているのは、ごく身近でありふれた経験である。だが、ぼくたちは「ブーンブーンという音」を「音」としてではなく最初から「蚊」として知覚しているし、受話器のコードを「ひも」と捉えたりはしていない。首筋を流れる「液体」は汗であるし、電話機は「グレーの箱」ではない。


 知覚とは個々の事物の知覚ではなく、「形相」の知覚である。ぼくたちは、ブーンブーンという音を蚊として、グレーの箱(色はグレーとは限らないが)を電話として知覚している。言い換えれば「蚊」とか「電話」とかいった「概念」がなければ具体的な経験は意味をもつことができないのである。アリストテレス以来、認識とは経験に形相を適用することによって成立するものであり、そうした形相の世界を探究するのが哲学や理論の役目であった。もし、理論の枠組みがなければ経験に意味を与えることはできない。この意味で――諸事物の相互関係や型としての形相の意識的な枠組みづけである――理論は、ぼくたちの知覚する世界に「意味」を付与しているということができる。


 この枠組みは当然のことながら固定されたものではない。人間は常にこのような枠組みの中で世界を経験してきたが、それは地域や時代によって異なっている。近代社会が生まれるまで、それらの枠組みをその土台において与えてきたのはもっぱら宗教的なコスモロジーであった。宗教はさまざまな伝承や物語を統合する言説構成として、ぼくたちの経験に形を与えて続けてきたのである。それではガリレオ以来の近代科学がもたらした認識とは、それまでとどこが違っていたのだろうか? 


 よく言われるように、それは「数学」と「実験」という二つのものを経験と理論の間に差し込んだのである。ガリレオやニュートンは世界を説明する仮説の構造を実験という検証に委ね、それを感覚や直感ではなく数学によって統合しようとした。それは世界を数学的で合理的な構造をもつものと考え、身体感覚や直感や憶測を排除した普遍的で客観的な世界の姿を求めようとしたのである。


 言うまでもなく、このような理論的態度は大きな成功を収めた。十九世紀から二十世紀にかけて科学的知識は飛躍的に増大し、それに伴うテクノロジーの発達は人間の社会を大きく変化させた。少なくとも量子物理学やカオス物理学が生まれる以前まで、誰もこのような科学的な態度の有効性に対して正面から異を唱える者は現れなかったのである。


 だが、それでもなおこのような態度に対する疑いは残った。なぜなら、いくら経験を客観的で数学的な構造に還元しようとしようとしても、それはぼくたちが自分の身体を使って知覚する世界とは必ずしも一致しないからである。実際にはぼくたちは歴史的、文化的に限定された形でしか世界を経験していない。いくら、普遍的で超歴史的に記述できる世界こそが真の世界であり、感覚に惑わされた経験など単なる「主観的な」まやかしにすぎないと言われても、現にぼくたちが生きているこの世界、この経験は、現にそれとは関わりなく存在しているではないか。


 このような「科学の専制」に対する反動としての文化運動が、十九世紀後半のモダニズム芸術であり、十九世紀末から今世紀の初めにかけて多発した、人文科学の建て直しの試みであったと言える。


 科学的な世界観からはみ出したものとは、要するに身体的な知覚であり、文化的、歴史的、地域的、言語的、社会的な枠組みであり、合理主義的思考が「主観的」で「非合理的」な領域として退けてきたものであった。だが、そうした合理主義的思考とは、同時に文化的で歴史的な存在であるぼくたち人間が世界を経験する具体的な在り方それ自体を隠蔽し、抑圧することでもあったのである。


 芸術や文学(とりわけロマン主義や象徴主義)は近代におけるこのような精神的抑圧に対するラディカルな抵抗文化として生まれた。それは、単に主観的な領域の復権を主張するばかりではなく、いわゆる主観性と客観性が生じる以前の主客未分化な状態を提起することによって、世界の別な可能性を訴えたのである。


 一方、科学的世界観の専制の中で、実証主義的な心理学などの科学に推し潰されようとしていた文学、哲学、歴史学などのいわゆる人文科学もまた、近代科学に対する反撃を開始しようとしていた。そのためには二つの方向が考えられたように思われる。


 すなわち、一つは人文科学の中に科学的方法論を組み込んでしまうことである。そのためには人文科学が対象とする文化、言語、歴史などといった複雑な領域を、さまざまな工夫によって分析と検証といった科学的方法論の枠の中に持ち込まなくてはならない。マルクス、フロイト、ソシュールといった人々はそれぞれのやり方で「人間の科学」を作り上げようとした。ラッセル、ホワイトヘッド、ウィトゲンシュタインなどによる言語哲学や分析哲学の流れもそうした方向を目指してきたし、構造主義や記号論の流れもまたそのような「科学的」傾向を内包していた。この場合にキーワードとなってきたのが「言語」である。人間の文化の基盤に存在し、その認識の土台となっているのが「言語」であり、人文科学はもはや目に見えない「精神」や「観念」ではなく、それらを形作っている基盤としての言語に焦点を合わせることによって、「文化の科学」を目指そうとしたのである。そして、それは物理現象を対象とする「客観科学」とは「一味違う」、複雑さの科学を作り上げようとしてきたのだ。


 それとは違うもう一つの方向は科学的方法論とは全く異なる別の原理を作り出すことに向けられた。言うまでもなく、文化や歴史は物理現象とは異なり、生きた人間が作り出す複雑な諸関係によって形作られている。そこには、決定論的に記述することができない一人一人の人間のユニークな意志が働いているのである。したがって、そのような対象を捉えるためには、科学的な客観性ではなく、歴史や文化を背負った個々人の具体的な知覚や体験が不可欠となってくる。人が何かを理解するとは、ただ単にその事象についての科学的「説明」を聞くだけでは充分ではなく、その人がその人自身の人格的関与を通して「了解」しなくてはならないのである。ディルタイはこのような考え方から人文科学を「了解の学」としての「解釈学」と規定した。人が何かを「知る」とは、けっして科学的な説明によっては尽くせない行為なのであり、人文科学はそうした「知る」ことの本質に関わるというわけである。この流れはハイデガー、ガダマー、リクールなどによって引き継がれた。


 またフッサールは、「厳密な学」としての「現象学」の理念を打ち立てる。現象学は世界を人間の意識に対して「立ち現れる」ものとして、純粋な意識体験にかえり、そこから世界の存在意味を問おうとする(超越論的還元)。さらに、こうして得られた純粋意識からノエシス-ノエマ連関の本質に向かう形相的還元を通して現象学は厳密な意味での本質学となるというのである。この流れはハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティらによって実存主義的に捉え直されることになり、とりわけハイデガーの「世界―内―存在」としての人間の規定や、メルロ=ポンティの「身体」論などによってきわめて重要な局面に到達することになる。


 これらの流れは蔓延するいわゆる「素朴実在論」や科学的実証主義に対するラディカルな批判として機能してきた。それぞれの流れ、そしてそれらの合流したもの(たとえば、解釈学と構造主義の合体、現象学と記号論の合体等々)が、今世紀の人文科学の主流を作り出してきたと言えよう。いずれにしても、注意すべきなのはこうした流れが、いずれも十九世紀から二十世紀にかけて認識の支配的な形となった近代科学に対する異議申し立てとして始まったということである。そして、こうしたいわゆる「理科系」と「文科系」という「二つの文化」(C・P・スノー)の対立は、経験を通しての世界の「形相的意味」を認識しようという、元はと言えば科学と同一の欲望から生まれてきたのであった。しかしながら、このような状況はこの二つの文化の双方において徐々に崩れ始めている。


 まず自然科学やそれに基づくテクノロジーは新しい局面に突入した。量子物理学やカオス物理学は、まったく新しいリアリティのイメージ構築を提起している。もはやそこには「客観的な実在」という理念は存在しないし、普遍的な世界の形相的本質もない。また別な項で述べているように、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、コンピュータテクノロジーなどの新しい技術はこれまでの技術観では規定できないような領域を作り出している。


 一方において人文科学的知もひとつの限界を迎えている。この限界は原理的なものであり、歴史的、文化的に限定された枠組みしかもたない人間が、その枠組みの成り立ちをどのように正しく(しかも限定された道具である言語を用いて)把握できるかという自己言及的な問いに陥っている。それでいながら、自分たちの言説構成を手放そうとしないために一種のエンドレスな言語ゲームを反復するばかりなのだ。


 もはや、二つの文化の対立を作り出してきた歴史的な文脈は無効なものになってしまっている。普遍的で超歴史的な形相的世界を確立しようという欲望も、それに対する歴史的、文化的に限定された人間の「生きられた」経験世界を記述しようという反動も、両者共に全く異なる言説構成の構築に向かうべきときなのだ。


 この本の中で提起される「情報」という視点は、このような文脈の中で考え出されたものである。ここから見れば、世界の形相的意味とは、要するに世界の情報論的編集のことである。それは、編集する側の身体的条件、状況、文脈によってダイナミックに変化する関係論的なものである。さらにそれは人間の身体や意識の生成をも同じ情報の組織化として捉えることができる。ここでの「情報」は実体的な何かを指しているのではない。情報とは情報を生み出すものである。情報は情報によって生まれ、情報を生み出していく。


 そして、それは分断されてしまった二つの文化を再び合体させる可能性をもつと共に、形相的意味を探究する人間の理論的欲望そのものを新しい光の下で逆照射する可能性をもっているように思われるのだ。
 

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