Since February 19th, 1996
新曜社刊、室井尚+吉岡洋著
『ワードマップ・情報と生命-脳・コンピュータ・宇宙』より
序文--オリエンテーリングをはじめる前に
本書は「ワードマップ・シリーズ」の一冊として刊行されているが、他のワードマップとはだいぶ異なっている。ワードマップ・シリーズは、それぞれが固有のテーマをめぐるコンパクトなキーワード集といった体裁をもっている。つまり、まとまりのいいキーワードの星座が描かれ、読者がそのテーマに関する知識を手軽に、そして確実に学びとるための「地図」として用いることができるように作られている。
ところが、目次をながめていただければすぐに分かるように、本書の場合この地図は目的地に到達するよりも先に、読者を無限の迷路の中にひきずりこむような奇怪な項目で占められている。そればかりではない。ページをめくれば、そこには一見とりとめもない対話やらSFのような奇妙なフィクションやらが書き込まれているのである。各項目の見出しもキーワードというよりもほとんどは見慣れない奇妙な言葉で埋められている。一体これは何なんだ? といぶかったり、あるいは怒り出してしまう人がいても不思議はない。タイトルに興味を抱いてこの本を買ったのに、有用な情報を与えてくれるどころか、ますます頭が混乱してしまうばかりではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれない。
だが、それでもなおこれはまさしくキーワード集なのだ。多少開き直りに聞こえるかもしれないが(また、実際そういう部分もないこともないのだが)、これは現在の、現状の知をやさしく解説しようとする手引書ではなく、現在水面下で進行中の知の大変動を先取りしようという、きわめて実践的な「架空のキーワード集」なのである。もちろん、これは幾分控えめに表現しているにすぎない。少なくとも著者たちにとって、この本は「近未来への通路」として、文字通り未来の知の世界へと読者を導く「地図」として仕掛られたオリエンテーリングのプロジェクトなのである。
ここでは、「文科系的知」としての哲学、社会学、美学、倫理学、心理学、文学、歴史学、言語学、人類学等々と、「理科系的知」としての物理学、数学、化学、生物学、地学、情報理論等々の諸科学が、「情報」「生命」「記憶」などといった拡張された概念によって一つの視点の下に組み合わされており、多少強引な仕方であるかもしれないが、統合と再配置化の方向に向かおうとしている。これらの専門領域や専門的知が、近代において人為的に線引きされ、領域づけられたものであることを考えれば、近代的知の行き詰まりや限界が見過ごせない現実として目の前に突ききつけられている現在において、これらが早急に別な形で再組織化されなくてはならないことは誰の目にも明らかなことだろう。近代におけるノーマル・サイエンスを支えてきた物語はかなり以前から綻び始めているのだ。
もっとも、それをただ単に再組織化するだけでは十分とは言えないだろう。それでは、単に新たな「専門」領域を作り出すことにすぎないからだ。ここで目指されているのは、ゲーム盤の上の駒の配置を変えることではなく、そのゲーム盤自体を別のゲーム盤にすりかえてしまうことである。つまり、近代の科学的知が分節される以前の地点まで戻り、それらを境界づけ、限定してきた諸前提を明確にすることを通して、新しい知識の形態を受け入れることのできる新しい「言語」を作り出すことが問題なのである。
もちろん、この本の著者たちが、その要請に完全に答えることができたと主張しているわけではない。われわれはそこまで傲慢でもなければ、自分達のしていることに対して無知でもないつもりだ。近代の知的な営みがこれまで蓄積してきた専門領域的知はまさしく膨大なものであり、たとえば「文科系的」な環境の中で育ってきた著者たちの自然科学に対する理解は、おそらく啓蒙書の一歩手前くらいの段階にとどまるものにすぎないだろう。それでも、われわれは本書で試みようとした企てを必ずしも無謀で無益な試みとは思っていない。それどころか、今なすべきことはこうした「野蛮」とも思える領域侵犯の試み以外にはないとすら思っているのである。
われわれはここで「情報」という概念と「生命」という概念を結びつけ、それを足がかりとして、「自然」/「文化」、「人間」/「動物」、「生物」/「無生物」、「科学」/「芸術」、「精神」/「身体」、「自己」/「他者」等々といった、われわれが自明の前提として受け入れてきたさまざまな思考の枠組みを解体し、それらの枠組み全体を相対化しうる新しい視点を架設しようと試みてきた。
この本における各項目の配置は、いずれもこのような新しい視点、新しい言語へ続く道路標識として設計されており、またいくつかの項目でいわゆるフィクションの形式が用いられているのもそのためである。これらを通して、われわれは一つの仮構された統一的なイメージに接近していった。その一つのイメージとは、
「宇宙は情報である」
というものである。
これは、その真偽を「客観的に」決定できるような命題ではない。そうではなく、それは選びとられた一つの「視点」なのだ。われわれは「情報」という概念を、日常言語の中でそれが閉じこめられている領域から拡張し、「生命」「意識」「身体」「自然」といった領域へと接合していった。これに対して、情報概念の無責任な濫用という批判を受けるであろうことは当然覚悟の上のことである。だが、問題はそうした視点を採用することによって、これまでとは違った形で世界を捉えなおすことが可能になる、ということなのである。もちろん、それはこれまでの知の形態の具体的な検証と不可分なものでなくてはならないだろう。
情報という視点への「転回」は、この本の中でも何度も触れられているように、二〇世紀末の現在において、多くの人々に共有されているものである。著者たちにとってこの意味で忘れられない書物は、八〇年代の初めにホッフシュタッターとデネットが編んだアンソロジー『マインズ・アイ』やホッフシュタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』を初めとする一連の著作であった。哲学、コンピュータ科学、生物学などの論文やエッセー、SF小説や何気ない会話などが自在に組み合わされ、おもちゃ箱をひっくりかえしたような楽しさに満ちたこれらの本は、まさしく著者たちを「情報論的転回」へと導く大きなきっかけとなった。その影響は本書の随所にいろいろな形であらわれている。もちろん、ここには他にもたくさんの書物の残響が鳴り響いている。
本書の各項目は独立して読めるものになっているし、もちろんワードマップとしてどこから読み始めてもいいように作られている。それと同時に初めから通して読んでいただければ、一つの巨大なテーマをめぐる一冊の書物として読めるようにも工夫されている。また、フィクションの項目の前後には必ずその話題に関わるエッセーが配置されるようにもなっている。
さて、仕掛けは整った。ルールの説明もこれで終わりである。地図作製者にできることはここまでだ。こんどは読者であるあなたたちの番である。この地図を手にしていったいどこまで行くことができるか。われわれが気がつかなった地形や、隠されている細い道を発見することができるかもしれないし、あるいはその逆にいつまでも迷路の中に閉じこめられてしまうかもしれない。だが、書物とはもともとそのような意味での地図にほかならない。
それでは、よい旅を!