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初出「Image Forum」Booksコーナー 1994〜1995年

第一回 映像文化はどこへ向かうのか?

 

 今月からぼくがこの頁を担当することになった。『イメージフォーラム』という雑誌自体がぼくにとっては全く初めての媒体である。もちろんかなり以前からその存在は知っているが、とりたてて熱心な読者というわけではなかった。
 もう随分昔の話になってしまうが、人並みに映画に強く惹かれていた時代があった。それどころか、一時期は京大の映画部長をしていたという自分でも信じられない過去ももっているのだ。もっとも紛争直後の西部講堂には、いろんな人々が出入りをしていて、映画部というのもほとんど名前だけで実体のない存在だったのだけれども。
 それでもその頃はとにかくジャンルを問わず手当たり次第に映画を観ていたし、年間三百本を突破していた年もある。当時は映画雑誌も沢山あったので、それらもまた手当たり次第に読んでいた。
 周囲に居た映画好きの学生たちの例に漏れず、夢は8ミリ映画を撮ることだった。生活費を無理に切り詰めて、アルバイトに精を出してカメラと映写機、それとフィルム・エディターを月賦で購入した。いくつかアイディアを温めてはいたのだけれども、結局それらが日の目を見ることはなかった。試し撮り以外には使われることがなかった8ミリ機材の存在感が今でも頭の中に小さくはない記憶のしこりとして残っている。
 ぼくはだいたいにおいてきわめて飽きっぽい人間である。その後、生活に追われたり、それ以外のことに心を奪われたりしているうちに、映画館で映画を観るという習慣からすっかり遠ざかってしまった。今では、年に数回しか自分から映画館に足を運ぶことはない。たまたま招待されてでかけるか、気が向いたときにレンタル・ヴィデオを借りてくるくらいのものである。
 それどころではない。この雑誌の読者の大半を占めているであろう映画狂の人々(ホントかな?)を前にして改めて口にするのはいささか勇気のいることではあるが、「映画という表現ジャンルはとっくの昔に終わっている」と公然と口にしたことだって何度もあるのだ。
 そう。それはちょうどぼくが映画館に入り浸っていた七十年代初頭において既に死滅していた。さらに言えば、生まれてからこのかた、映画の緩やかな死の進行と共にぼくが成長してきたという気さえする。新聞に何枚も挟み込まれた新作映画の青刷り広告、青空を飛ぶ軽飛行機から空き地や住宅街にバラ撒かれたチラシ、電柱に何重にも糊付けされた安っぽい原色のポスター、便所の臭いが染みついたトタン張りの映画館……。「さらば愛しの映画達」。
 もちろん、こんなふうに言いっ放しておくだけのことなら誰でもできる。また、「何かが終わる」というのがそれほど単純なことでもないことは重々わかっている。だが、写真の発明と前後して生まれたゾーイトロープやプラキシノスコープなどに象徴される「イメージ・プロセッサ」へのあくなき欲望、シネマトグラフ登場直前に公開され、その後すぐに忘れ去られた驚嘆すべきアニメーション映写装置であるエミル・レイノーの「テアトル・オプティーク」、あるいはアヴァンギャルドたちによる「純粋映画」や「絶対映画」の試みを思い起こしてみるなら、ジャンルとしての「映画」とは、それを生み出した古くて深い欲望の流れの歴史のほんの一時期を飾る文化的-メディア的現象として限定して考えた方がいいのではないかと思うのだ。
 そして現在、その欲望――すなわち、イメージをプロセッシングし、そのことによって意識のプロセッシングを成し遂げようする欲望――は、それが備給される対象をテレビ、ヴィデオ、コンピュータなどといった新しいメディアに移しつつある。しばらく前から、ぼくはコンピュータに象徴されるディジタル・メディアに注目してきたが、それはこうした思いからだった。
 ぼくは別にいわゆるメディア・フリークではないし、現象としてのニューメディアとかマルチメディアに対してとりたてて関心があるわけではない。ゲームだってあまりやらないし、メディア・アートとかインタラクティヴ・アートとかいった類のアートにも大して興味をもっていない。だが、サイバースペースとかヴァーチュアル・リアリティとか言った言葉だけが一人歩きし、あたかも全く新しい表現の未来空間が開かれるというような楽観的で脳天気な風潮に対しては以前から不満を抱いてきた。こうした現象を、十九世紀以来、あるいはことによると石器時代以来、人間を長い間支配してきた飽くことのない視覚への欲望の歴史の中に位置づけていくこと――映画をも含むイメージ・プロセッシングの歴史の中で来るべき映像文化の行方を探ることをここでは心がけていきたいと思う。
 おっと、長い前置きになってしまった。ここでぼくが依頼されているのはブック・レヴューであって、思い出話ではない。ここでは毎回右に書いたような視点から一冊ないし二冊の書物を取り上げていきたいと思っている。
 さて、今回まず取り上げたいのはT-BRAIN CLUB/HUMANMEDIA編、『人工生命の美学――コンピュータがつくる新たな生態系』(洋泉社)である。
 この本は基本的には昨年、東京・多摩センターにある東京国際美術館で開かれた同名の展覧会にちなんで作られた論集である。人工生命(A-LIFE)をテーマした本格的な展覧会は日本では初めてではあるが、昨年はたまたま世界的なメディアアート・フェスティヴァル「アルス・エレクトロニカ」や「SIGGRAPH」でもA-LIFEに注目が集まっており、いわば美術展とA-LIFEとの結合がさまざまな場所で試みられた年であった。
 本書の巻頭には同展に出品された作品のカラー図版が掲載されており、巻末にもこれらの作品の作家たち自身による解説が付されている。内容は三部に分かれており、第一章「A-LIFEの現在」で現状を、第二章「テクノロジーと科学」でコンピュータ・テクノロジーや生物学における人工生命の意味を、第三章「A-LIFEとアート」で人工生命と芸術との関係を扱っている。執筆陣には「A-LIFEの伝道者」佐倉統やわが国のCGの第一人者である河口洋一郎等おなじみのメンバーのほかに若い書き手たちが集まっている。
 だが、なぜいまA-LIFEなのだろうか?
 A-LIFEという名前は、言うまでもなく Artificial Life の略称であり、AI( Artificial Intelligence =人工知能)に対してALと表記されることもある。A-LIFEの父と呼ばれるクリス・ラングトンが一九八七年にロス・アラモスで開いた「第一回人工生命ワークショップ」には、「利己的遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンス、『電脳生物たち』のハンス・モラヴェック、ナノテクノロジーの提唱者エリック・ドレクスラーなどが参加し、世界中の注目を集め、その後多くの人々が関心を抱くようになった。
 基本的にはA-LIFEとはコンピュータによる生命(B-LIFE=Biological Life)のシミュレーションのことであり、生命の進化、群などの社会的行動をディスプレイ上で再現する技術である。六十年代にJ・コンウェイが作り出したライフゲームや生態系のシミュレーションは以前から広く行われていたが、にわかにA-LIFEが注目されるようになったのは、主としてラングトンがそれらに与えた新しい「意味づけ」によるところが大きい。
 分子生物学の発達に伴って、生命の本質を「情報」と考える生命観が主流となってきている。こうした情報定義で生命を捉えるならば、コンピュータ・シミュレーションと現実の生命との間には本質的な違いは存在しないはずだ、とラングトンは考えた。すなわち、A-LIFEはシミュレーションであるばかりでなく、それ自体が既に生命だというのである。これはコンピュータの発明者フォン=ノイマンのセル・オートマトンのアイディアの中に既に表明されていた考え方ではあるが、現在ではコンピュータの計算能力や表示能力の拡大によって、複雑なシミュレーションを行ない、さまざまな生命をデザインすることが可能になった。コンピュータを用いて新しい「生命」を作り出すこと――A-LIFEはこのような錬金術的な怪しい魅力をもっている。
 もう一つはラングトンの言うコレクショニズムという考え方。すなわち、従来のAIなどのプログラムが、現実を包括的に捉える理論によってプログラミングされるといういわゆるトップダウンの方法論をとっているのに対して、A-LIFEでは最初に単純な規則を与え、まずプログラムを動かしてみることによって、予想できなかった結果を作り出すボトムアップの方法論をとっていることである。トップダウンにおいては、もし結果が現実と対応しない場合には、仮定された包括的理論を訂正しなければならないが、ボトムアップの場合、逆に出来上がった総体から最初に与えられたルールやパラメータを変更すればいいことになる。つまり、A-LIFEの場合、結果がどうなるかはプログラムを走らせてみないとわからないのだ。こうした、生成型というか、やってみることによって予想もできなかった発見が生まれるというコンピュータの使い方が人々を引きつけているようである。
 それではアートの世界はA-LIFEとどのように関わるのであろうか。それは本書にも述べられているように、ウィリアム・�激Cサム、カール・シムズ、河口洋一郎などといったCGアーティストたちが、しばらく前からいずれも生命的な質感をもった作品を作っていること、また、とりわけテクノロジーの最前線に敏感な若いアーティストたちがこの新しい合言葉に大きな関心を寄せていること、そのことによってA-LIFEをテーマとした展覧会が世界中で相次いで開催されていること――ようするに、そういった表面的な関わりしか存在してはいない。
 さて、こうした状況で出版された本書がいかなる「A-LIFEの美学」を提起しているか? これはなかなか心惹かれる企画ではないだろうか?
 というわけなのだが、結果は、というとさんたんたるものと言うしかないのだ。CG作品の紹介はよくできている。また、ひとつひとつの論文もそれぞれ面白かったり、有意義だったりはしている。ただ、それらは全くバラバラであり、結びついていない。
 第三章の冒頭で、展覧会のキューレーター有馬純寿と美術評論家椹木野衣が対談をしているが、この対談の何ともふっきれないもやもやとした感じが本書全体を包み込んでいる。
 この対談ではA-LIFEのアートについて何のプログラムも示されていない。ただ単に科学と芸術の融合の難しさ、批評性が欠如/過剰であるテクノロジー・アートのつまらなさ、そして芸術が科学を消化するには時間がかかるのでもう少し状況を見守る方がいいというきわめて凡庸な状況論しか出てこない。アルス・エレクトロニカにも登場したテクノポップ・バンド、クラフトワークの面白さについて触れているくらいで、全く何の展望も提示し得ていない。端的に言って真剣な問題提起が欠けているのである。
 ようするに、ここからはA-LIFEというのはせいぜいテクノロジー好きのアーティストの浅薄な心移りにしかすぎず、ファッショナブルに消費される新しいキーワードでしかないような印象しか受けないのだ。
 これでは困るのだ。A-LIFEが提起している問題は、実際雰囲気だけで片づけられるようなものではない。それが提起している、生物/非生物、文化/自然といった二項対立の解体、複雑系から生まれる秩序、環境と個体の関係についての考え方――これらについてもっと徹底的に考え抜くことからしか新しいアートだって生まれてくるはずはないではないか。
 ラングトンはA-LIFEのAはアートのAでもある、というようなことも言っている。A-LIFEはアートと生命の関係についても新しい提案をなしうるかもしれない。たとえば、意識の再プログラム化、あるいは人工的無意識の生成、個々の作品ではなく文化制度や「見ること」の制度としてのアートの解体、オールタナティヴなアートの提案――こんなことだって考えられるではないか。
 科学技術任せの発想がアートを支配するという文化の貧困は、技術について深く思考する行為の欠如から生まれる。逆に言うとそのような反省を押し流してしまうのが、現在のテクノロジーの見えない権力なのかもしれない。
 A-LIFEにおけるボトムアップ型の思考というものは、一面ではこの考えることの放棄を正当化してくれる。とにかくやっていけば何かが生まれるという都合のいい考え方だ。だが、現状を真剣に考察することなしに、流れのままに突き進む現在のテクノロジー・アート論がわれわれを一体どこに連れていくのか。少なくともぼくにはそんなものは信じることもできなければ、それにつきあうつもりもないのである。
 改めて言うまでもないことだが、現状を日和見主義的に見守る態勢から何が生まれるというのだ。真にクリティカルであるためには、ウォッチャーをやめてテクノロジーに対する徹底的に批判的な眼差しをもつことが必要ではないか。本書を初めとする日本のテクノカルチャーをめぐる言説に一番欠けているのはこうした眼差しなのである。

 

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