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第四回「芸術」を脱植民地化すること

 

 十月の終りに北京で開かれた学会に参加した。中国に行くのはこれで三回目である。三年前に初めて訪れて以来毎年出かけている。一番最初は中国で初めてという「記号学会」(中国では「符号」学会と言う)のために、華中の中心都市・武漢に足を踏み入れた。初めてだったせいもあって、この時の体験が一番印象深かった。
 基本的には、その時以来ぼくは完全にこの国の魅力の虜になってしまった。何人かの若い研究者や学生とも知り合ったし、そのうちの一人をぼくの大学に二カ月間招待したこともある。
 それでも、この最初の訪中では随分と驚かされた。というのは、中国の学会というものが、普通ぼくたちが「学会」という言葉で考えるのととことん異なるものだったからである。
 まず、その発表のレベルの低さに驚いてしまった。これはけっして馬鹿にして言っているのではない。馬鹿にするというのは、ある共通の物差での比較が前提となるはずだが、この共通の物差がそもそも欠如しているのである。だから、実際のところ「レベルが低い」という表現も適切ではない。レベルなどということが、ここでは問題にさえならないのだ。
 これでは、よくわからないだろうから、もう少し詳しく書こう。この会議の参加者は外国人十名ほどを交えた五十人くらい。この全員が研究発表をすることになっていた。日程から言って全員が発表することはとても無理なので、とにかく物理的に不可能なプログラムになっている。結果的にかなりの中国人の発表がキャンセルされてしまったわけであるが、それでも随分沢山の研究発表を聞かされた。そして、それらのほとんどは信じ難いほどレベルの低いものであったのである。
 確かに中国では記号学といった新しい学問は余り普及してはいない。だが、この発表のひどさはそれとは関係がないようだ。第一、かなり多くの発表がほとんど同一の内容なのだ。引用される名前から、結論までほとんど変わらない発表をいくつも聞かされた。
 余りに不思議なので通訳をしている中国人にその理由を聞いてまた驚いた。つまり、彼らはほとんど記号学のことなど知らず、彼らの発表内容が同じなのは彼らがネタ本に使っている「虎の巻」(『記号学入門』のようなもの)が中国でほとんど唯一のものだからだと言う。つまり、国際学会まで開いておいて、その研究発表がまるで高校生がよくやる虎の巻引き写しのレポートのようなものになってしまっているのだ。
 もちろん、中国の研究者が置かれている知的環境が余り恵まれたものではなかったことは知っている。外国語が読めなかったり、自由に書物が手に入らなかったりすることはあるだろう。だが、これはそういうことともまた違っているようだ。
 この会議の参加者に話を聞くと、ほとんどの人が「科学哲学」を専攻していると答えた。この「科学哲学」の内容は、主に英米系の論理哲学を指しているらしい。「らしい」と言ったのは、通常日本でこの「科学哲学」という言葉が意味している研究領域と彼らの言っているのはかなり違うようだからだ。確かに、トマス・クーンやカール・ポッパーはその中に含まれているらしい。だが、それだけではない。中国で「科学哲学」と言えば、要するに「マルクス主義哲学以外のすべての哲学」――それどころか、場合によっては「マルクス主義以外のすべての人文・社会科学」を意味する言葉なのである。したがって、当然「記号学」は「科学哲学」であって、あらゆる研究領域が「科学哲学」となるのだ。
 そして、この集団に属している人達は必ずしも研究者ではない。驚くべきことに中国では大学の教師は必ずしも研究者ではないのだ(もっと驚くべきことに教師ですらない――全く仕事をしていない人すらいる)。要するに、大学の教師というのは派閥を通して分配されるポストであり、研究や教育と必ずしも関係しないことなのである。そして、学会発表とは彼らがめったにできない旅行をするための口実であり、学問的な交流のためなどではない。この学会の参加者はいくつかの派閥に属しており、それがたまたま「科学哲学」派であったというだけのことであり、多くの参加者にとっては「科学哲学」が何であるかということは問題ではないのだ。
 もちろん、こうした派閥のボスたちにとっては事態は少し異なっている。途中から判明したことであるが、「科学哲学」とは政治的には体制内反体制的なポジションを意味する言葉である。開放政策以来、欧米の学問や文化が大量に中国に流入したが、八九年の天安門事件以降ヨーロッパ系の哲学は再び好ましくないものと考えられるようになった。それに対して分析哲学や論理学系統の英米哲学はニュートラルなものとして比較的取り入れ易いものだった。その上「科学哲学」というネーミングが便利なものだった。なぜなら、マルクス主義の観点では、マルクス主義哲学は「科学」であって、それ以外の大陸哲学は単なる「イデオロギー」にすぎないのであり、その点「科学」の「哲学」である「科学哲学」ならマルクス主義に抵触することはないだろうと考えられたのである。
 もちろん、事実はこれと異なっている。クーンやポッパーの「科学哲学」は要するに「科学批判」であって、たとえばそれは「科学」を自称するマルクス主義に対してもきわめてラディカルな批判となるはずなのだ。
 「科学哲学」派のボスたちが目をつけたのは科学哲学をめぐるこうした曖昧な状況であった。彼らはポッパーら「科学哲学の神々」の中国講演旅行を組織し、国際学会を勢力的に開催して、中国における「科学哲学派」の組織造りをしてきた。国際学会における「外国人」参加者は、こうした「科学哲学」の権威を高めるためにきわめて重要な道具立てである。この学会では外国人が少なかったため、ぼくたちは散々現地のテレビ・ニュースや新聞から取材を受け、「科学哲学派」の勢力強化のために働かされた。ぼくのような部外者まで中国ではいっぱしの「科学哲学者」として通用するのである。
 こういう理由でぼくは毎年中国の「科学哲学派」の学会に招待されることになった。といっても、学術交流のためというよりは、要するに「手持ちの外国人」の一人としてである。去年の学会は「国際論理学・科学哲学会議」であり、今年の学会に至っては「ウィーン学団国際シンポジウム」である。要するにぼくの専門とは程遠いのだが、そんなことは余り重要ではないのだ。何しろ「科学哲学」は「何でもあり」なのだから……。
 もっとも、今年の学会はその点少し予想が外れた。ひとつには北京での学会だったこと、オーストリア大使館が協賛に入ったこと、そしてこの数年で中国における「科学哲学派」が驚くほどその勢力を拡大したことによって、彼らは五十人もの「外国人参加者」――しかも、ヨーロッパ系だけで四十人――を獲得することができ、ぼくの「外国人価値」は激減したからである。一人一人随員がつけられた十人ほどのVIPたち以外は要するに「数のうち」にすぎない。しかも、この人数の結果ほとんどの発表が外国人に独占されたために、ウィーン学団をめぐるトリビアルで実にまあ「アカデミック」な話ばかりきかされて、実のところ全く閉口してしまった。
 前置きにしては長すぎる話だが、もう少しおつきあい願いたい。
 こういう話を聞いてどう受け取るかは自由である。たとえば、これを「中国の近代化の遅れ」と取ることもできるし、そこに「文化の共約不能性」を見出したり、文化が必然的に経済や政治に依存しているものだと感慨にふけることもできるだろう。だが、ここで指摘しておきたいことは、学問にしても文化にしても、万国共通で国際的な同一性など存在し得ないというごく当たり前の事実なのだ。
 国際学会というのは一つの虚構である。それは「学問は国境を越えている」というフィクション――つまり、学問は普遍的であり、経済や政治から自立しているということを受け入れなくては成り立ち得ない。
 それと同じように「国際的」な映画や美術などもありえない。国際芸術祭や国際映画祭をめぐって、真にローカルなものは表現としての普遍性をもつという神話がある。たとえば最も日本的な映画作家である小津安次郎、最もアメリカ的な作家であるJ・フォードはそれぞれローカルでありながら同時に最も普遍的であるといった神話だ。しかし、いわゆる「映画祭」制度や「文学賞」制度、あるいは「芸術祭」制度が作り出すこのような「インターナショナル」神話は幻影にすぎないことがますます明らかになりつつある。審査員はそうした神話に合致する少数のフィルムや作家を自分達のイデオロギーに合わせて選別しているだけなのである。あるいは、われわれローカルな位置にいる作り手の方が逆に自らをそのようなものとして選別しているケースも存在している。自らの地域的なアイデンティティを極限にまで突き詰めることによって、「国境を超えた」国際的な表現に到達できるというわけだ。このような民族主義的文化主義がそもそも捏造された啓蒙の影であることを忘れて……。
 西欧近代文明とは、まさしく他に対しては「ヨーロッパ」という個別性を保ちながらも、それが「普遍的なものである」と主張することによって、個別性の中に実現される普遍性という神話を作り上げた。だが、いまわれわれは� らゆる普遍性をめぐる神話を解体していかなくてはならない。それには普遍に対する個別、あるいはローカリズムを対置するだけでは不十分なのである。それでは、エドワード.サイードが指摘した「オリエンタリズム」の構図の中に取り込まれるだけだ。また、それは普遍に対する個別の神話を作り出すだけにすぎない。日本美術、中国美術、オセアニア美術といった近代民族主義的なアイデンティティをふりかざしたり、普遍的西欧文明に対立する他者性を称揚するだけでは、何も変らない。日本人として、あるいはアジア人としての文化的アイデンティティを取り戻すだけではだめなのだ。統合的な原理の不在を、局所的な原理で埋めることはできない。あらゆる原理主義は、いまそれらの原理の自明性をはぎとられた地点に差し向けられつつある。問題はこの二項対立の枠組み自体を組み替えることなのだ。だとすれば、いま批評や理論に求められているのは、歴史を逆行させよう、あるいは停滞させようとする閉塞的な力を横断的な切り裂く運動ではないだろうか。言い替えれば、大文字の物語にすべてを回収するのでもなく、それらを個別の切り離された小さな物語に拡散させるのでもなく、それぞれの多様な物語が対話的に結びつき合う闘争/交感の場を開いて行くことなのではないか?
 西洋の学問を「近代化」の名の下に露骨な政治活動に利用する中国の国際学会に嫌な感じを受けたのは、もしかしたら実のところ半分以上はぼくたちの自己嫌悪だったのかもしれない。日本における「学問」や「芸術」が紛れもなく西洋近代という「外部」から押し付けられたものであり、異国から来た神々であったこと――つまり、外来の植民地文化であったことをぼくたちはつい忘れがちなのではないか。あまりにその「内面化」が完璧であったために、ぼくたちはアメリカ映画やヨーロッパ哲学やアートをすっかり「内面化」してしまった。だが、それもいずれにしても「国際派」と「民族派」の対立の構図の中に閉じ込められた貧しい状況にあることに変わりがない。そう考えると何の疑問もなく「国際派」の顔をして、中国の「後進的」状況を批判する資格などぼくたちにはないのかもしれない。
 そんなことを考えていたら、九四年十二月号の『美術手帖』が「九五年ヴェネツィア・ビンエナーレ・コミッショナー指名コンペ応募十四試案誌上公開」という特集をしているのが目についた。ヴェネツィア・ビエンナーレとは言うまでもなく、カッセルの「ドクメンタ」と並ぶ現代美術の巨大国際展であるが、今回は日本館での展示がコンペ形式で選ばれたというのである。コミッショナーからは伊東順二による採用案だけが発表されたが、審査の内容が不透明であるために『美術手帖』が独自に調査して「落選」した企画を誌上に収録したわけである。雑誌の企画としては面白いが、肝腎の企画案がつまらない。批評家やキュレータが一人、あるいは数人の作家をリストアップして展覧会のコンセプトを提出しているわけだが、そこには国際展で「日本館の展示」をすることという状況自体に対するまさしく批評的な眼差しが徹底して欠けているのだ。当選した伊東案とは要するに「数寄屋」という日本的な空間構築概念をポストモダン状況を考えるヒントとして提起するという――何と言ったらいいかまあ、「東洋の光」的な何とも情けなくも凡庸なアイディアであった。これでは官庁の企画する「日本文化週間」とほとんど変わりがないではないか。何とかならないのか、本当にもう!
 いつものことではあるが、肝腎のブックレヴューのスペースが(きわめて)残り少なくなってしまった。だが、そんなことも含めて昨年出版された本のベストを挙げろと言われたら迷わずこの本である。嶋本昭三著『芸術とは人を驚かすことである』(毎日新聞社)だ。
 最も「国際的」な日本の現代美術とは「具体」である。前回のベネツィアでも大規模な回顧展が開かれている。だが、それは「具体」が、よく誤解されるように、 アンフォルメルや抽象表現主義の影響下にあった「国際様式」であったからではない。そうではなく、それが西洋近代の「アート」とはほとんど無関係な文脈の中でまるで奇跡のように生まれた運動であったからである。それは、芸術以下であったかもしれないし、以上であったかもしれない。だが、いずれにしても国際的な「芸術」などではなかったのだ。
 この本の中にはかつての「具体」の担い手であり、ネットワーキング・アーティストである嶋本昭三のこれまで書かれたほぼすべての文章が含まれている。この本自体が一つの奇跡と言ってもいいものなのだ。なぜ、具体を引き継ごうとする表現や批評が存在しなかったのか、なぜ回顧されるだけになってしまったのか――現在もまた輝かしき異端の道を力強く前進する嶋本昭三本人がしなやかに解き明かしている。これからのポスト植民地主義の文化を考えていく点で、本書は何物にも換え難い手引となってくれるはずである。少しでもものを考える意志のある表現者はいますぐ書店に走り、この本を読むべきである!

 

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